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あるグロテスク・ジョーク (伊丹十三 [ヨーロッパ退屈日記] に関連して)

伊丹十三のエッセイ [ヨーロッパ退屈日記] に就いて、もう少し書いておく。

[産婦の食慾] と題する一段は、このようにして始まる。

 シック・ジョークとか、ブラック・ヒューマーとかいった類の、病的で陰惨な笑いがある。たとえばこんなぐあいだ。

 ある参院の一室で、今しがた分娩をすました婦人がベッドに身を横たえている。彼女の顔には、過ぎ去った苦痛と、激しい疲労が、はっきりと跡をとどめているが、しかしそれとても、彼女の顔に誇り高い安らぎの微笑が浮び上ってくるのを覆い隠すことはできなかった。
 この時、ドアが静かに開いて、一人の看護婦が晴やかにはいってくる。彼女の腕の中には、真白なタオルに柔らかく包まれて、赤ん坊が、天使のようなバラ色の頬をして眠っている。母親は待ち兼ねたように手を差し伸べていった。

「あら、わざわざ包んでくれなくてもよかったのに。今すぐここで食べるんだから。」

わたくしにこの話をしてくれたのは、あるホモ・セクシュアルのイギリス人である。そのせいかわたくしには、この小咄を作ったのがどうもホモ・セクシュアルの男のように思えてならないのだ。彼らはこんなふうな他愛ないやり方で、常に女権を失墜させようと企んでいるのである。
--[ヨーロッパ退屈日記] 文春文庫版 pp.64-65

私だったら、このタイプのジョークは「グロテスク」 と形容する。Punch line そのものが、日常的な表現であるために、「あら、わざわさ包んでくれなくてもよかったのに。今すぐここで食べるんだから。」で、「通常なら」祝福されるべき情景である [前振り] が無気味なものに転化するだけでなく、「あら、わざわさ包んでくれなくてもよかったのに。今すぐここで食べるんだから。」で、「通常」 想起される「日常的」情景そのものが無気味なものに転化する。

余談だが、不図思い立って "grotesque jokes" で google 検索してみたら、雑誌のアーカイヴ・データベースである JSTOR (Journal STORage) で [Film Quarterly, Vol. 41, No. 3 (Spring, 1988), pp. 37-40] に掲載された 伊丹十三作品 [お葬式] への批評が見つかった(著者: Ray Sawhill)。基本的に公的機関向けであるらしく、私のようなタダの人には、この JSTOR のサイトに収められた情報には直接アクセスできないようだが、著者本人のサイト "Wiggle Room - Writing on Art and Culture by Ray Sawhill" の方に同内容と思われる記事 "The Funeral, directed by Juzo Itami" が掲載されている(このページは、本稿作成時点では google に引っ掛からないようだ)。そこでは、[お葬式] の幾つかのショットが "grotesque jokes" であると言われている。

ジョークのオリジナルを探すのは、多岐亡羊となるのが普通で、余り意味がないのだが、一応探してみた。

とは言え、勿論、[ヨーロッパ退屈日記] には、[産婦の食慾] の英語版は示されていない。若干の試行錯誤の後、結局作業は punch line を英語に復元して、それでネット検索すると云うものに収斂していった。

ワザワザ説明するまでもないと思うが、punch line の復元の際に指針としたのは、ここで赤ん坊を示す代名詞は "it" であるべきだろうと云うことだ。古臭く、或いは/そして、失礼になりうるとは言え、赤ん坊を受ける代名詞として "it" が、文法上許容されるからこそ(例えば [It (pronoun) - Wikipedia, the free encyclopedia] 参照)、このジョークが成立する筈だからだ。

と云う訣で、("wrap it"|"wrapping it") "I'll eat it" nurse で google 検索すると(勿論、その他のキーワードも確かめてみたが、その話は省略する)、そこから Charles Addams (1912年1月7日–1988年9月29日) が同工の cartoon (一コマ漫画) を描いたと云う逸話があることを知った。チャールズ・アダムズ...

再び余談だが、普通は「アダムス」と表記されることが多いようだ。しかし、私としては有声化の s であることが分かるように「アダムズ」と書きたい(そうでない具体的な理由が出てこない限りの話だが)。こう云うことはゆるがせにしない都筑道夫も、「チャールズ・アダムズ」と書いている。でも、みんな気にしないのだろうな。そう言えば、フェルマー予想解決のニュースが伝わった当初、数学者でさえ "Wiles" を「ワイルス」と表記する人が多くて、自分の書き方(勿論「ワイルズ」)の裏付けが取れず私は腐った想い出がある。まぁ、「こう云うことで数学者をあてにしても仕方がない」と「ワイルズ」にしたが...

とは言え、あまり厳格にもしていられないのだ。例えば、私も news は、「ニューズ」と書くとわざとらしい時などは「ニュース」と表記するし、また、このブログでは、引用との接続をなだらかにしたかったので Asimov も「アジモフ」ではなくて「アシモフ」と書いて、それで良かったかと反省している。

チャールズ・アダムズは、日本では映画 [アダムズ・ファミリー] (1960年代にはテレビ版があって、日本でも放送された) の原作者と云う形でぐらいでしか、一般には知られていないかもしれない。実を言うと、私も、彼の漫画は確かに何度も見た図柄であるのに、何処で見たのか憶えていない。やはり雑誌 "The New Yorker" あたりだろうか? 以前読んだことがある星新一の [進化した猿たち] でも紹介されているらしいのだが、全く記憶がない。

だから Charles Addams に就いて語るべきものを持たないのだが、取り敢えずネット上では彼が描いたと云う一コマ漫画 (以下 "the cartoon") がどのようなものであったか説明されているかというと:

Patriside: No regrets, just rugrats
Tuesday, March 01, 2005
"Don't Bother Wrapping It, I'll Eat It Here"
There's a story, probably apocryphral, regarding the late, great New Yorker cartoonist Charles Addams. The tale involves a particular gruesome cartoon that Addams would submit on a semi-regular basis: a delivery nurse holding up a newborn to a shady-looking man who says, "Don't bother wrapping it, I'll eat it here." Whenever Addams submitted this particular cartoon to the editors at the New Yorker, it was a sure sign he was due for some time chasing butterflies at Bellevue.
--Patriside
「"World Party, Private Revolution" を聴く」と云う副題がある記事の導入部。チャールズ・アダムズは、"The New Yorker" 誌編集部に、時々 the cartoon を提出したことになっている。そう云うときは、決まって暫く後に、「彼は "Bellevue" で蝶を追い掛けて時を過ごした」と云うのだが、この「蝶を追い掛け」のくだりが分からない。"Bellevue" は "Bellevue Butterfly Garden" のことかもしれないが、この施設はアメリカ中西部アイオア州 のベルヴュー (Bellevue) にあり、ニューヨークからは離れすぎている。

"Charles Addams" Written by Linda H. Davis: Publisher: Random House
EXCERPT: Chapter One
The story most often heard concerned a Charles Addams cartoon about a ghoul in a maternity room, come to claim his offspring. "Don't bother to wrap it; I'll eat it here,” he tells the nurse. They said that Addams would have periodic mental breakdowns and begin drawing the gruesome maternity room cartoon. Or he'd redraw "The Skier," his classic 1940 cartoon showing single ski tracks on either side of a tree, as though the skier seen vanishing down the hill has passed right through it. As Addams would begin madly sketching the skier or the maternity ghoul (depending on which version of the story you heard), his New Yorker employer had him carted off in an ambulance to the loony bin.
--Random House Publishing Group | Charles Addams by Linda H. Davis
ランダムハウス社から出ているアダムズの伝記の摘要。アダムズは、精神的に崩壊すると、the cartoon か、「スキーヤー」と云う1940年に描いた別の有名なひとコマ漫画を改めて書いていたと云う。ちなみに、都筑道夫が推理小説 [最長不倒距離] の冒頭部で「グロテスク漫画で知られるアメリカのチャールズ・アダムズに、そっくりの作品があったのを、片岡直次郎はおぼえている」と触れているのが、この「スキーヤー」だろう。

BBC h2g2
Charles Addams - Cartoonist
Though his friends would always attest to his charming, friendly nature, Addams revelled in his notoriety as someone to be worried by. A story that often went around about him was that he'd once drawn a cartoon of an alley-way with a door open ajar. Through the door, a nurse is shown holding a baby, standing in front of a shady-looking man, saying 'Don't wrap it, I'll eat it on the way home.' The story goes that the cartoon was rejected by every editor he ever worked for as being just too much. Whether or not the tale is apocryphal or not has never been proven, but Addams never dissuaded anyone from believing it; he felt anything so dark could only enhance his reputation as an artist prepared to go that little bit further.
--BBC - h2g2 - Charles Addams - Cartoonist - A713891
BBC ウェブサイトでのアダムズの紹介記事。The cartoon は、どの編集者に見せても没になったと云うことになっている。それが、事実であったかどうかは不明だが、アダムズ自身は否定しなかったとのこと。

Carl D. Patterson
My Crowd
Sunday, January 16th, 2005 - Posted in Book Review
Great cartoons that don't always feature the Addams family characters, who were only named when the TV series was created.
I once read that Charles Addams suffered from depression. He was creating cartoons for the New Yorker newspaper and his drawings would get darker and darker, befitting his mood. The staff at the newspaper knew this and one cartoon was allegedly too dark for publication. It depicted an alleyway, a sinister figure, cloaked appropriately, was standing outside a door way. A nurse, standing in a circle of light was holding a baby, wrapped in a blanket. The figure was looking down at the infant. The caption simply read, "Don't wrap it, I'll eat it on the way home". Delicious.
--Carl D. Patterson ≫ Blog Archive ≫ My Crowd
アダムズの著作 "My Crowd" へのコメント。筆者 (Carl D. Patterson?) は the cartoon が、うつ状態のアダムズにより描かれたと云うことを読んだことがあると云う。

"Crude Set for a Short-Term Slide" By Howard Simons: RealMoney.com Contributor
11/15/2005 7:53 AM EST
Legend has it that macabre cartoonist Charles Addams, now better known as the creator of The Addams Family than for his long-running work for The New Yorker, kept a single cartoon in his desk drawer to shoo away editors around deadline. It depicted a maternity ward nurse handing a swaddled newborn over to its father, whose response was the caption, "Don't bother wrapping it, I'll eat it here."
--Crude Set for a Short-Term Slide
原油市場に就いての話の前振り。アダムズは the cartoon を引き出しに仕舞っておいて、締切間際に編集者を追い払うのに使ったと云う。

Carly Simon:Ask Carly
11/29/03
It's the oddest question, because my inspiration had very little to do with anything OTHER than an old New Yorker Cartoon (then in a book of Charles Adams') showing a baby, just born, behind a glass nursery in a hospital. The nurse is holding the baby up for the father to see. He's got a hat on and looks typically tuned in and out at the same time. The caption reads: "Don't wrap it up, I'll eat it here".
Very spooky and Charles Adamsy. I love it. Of course it can mean a whole lot of different things and I took it in a less 'black comedic' direction into the realms of love and romance.
--Carly Simon Official Website - Ask Carly
Carly Simon は米国の所謂シンガーソングライター。1990年に "Don't Wrap It Up" を含むアルバム "Have You Seen Me Lately?" をリリースしている。この文章は、ファンから "Don't Wrap It Up" 作詞のインスピレーションを尋ねられたのに答えたもの。Carly Simon は、the cartoon が出版されていると信じている。また、情景も他の物とは異なり、ガラス張りの新生児室になっている。

EW.com by Entertainment Weekly and Time Inc.
Cover Story: THE WIZARD OF ODD
Posted Nov 15, 1991 | Published in issue #92 Nov 15, 1991
The artist allegedly flirted with insanity several times over the course of his career, with each breakdown signaled by his submission (which The New Yorker invariably refused) of a cartoon showing a vampire in a maternity ward, telling a nurse holding a baby, ''Don't wrap it up, I'll eat it here.'' Addams always denied the story, though he thrived on the public's perception of him as a man a little too close to the edge.
--THE WIZARD OF ODD | The Addams Family (Movie - 1991) | Cover Story | News + Notes | Entertainment Weekly
アダムズの人物像を紹介した記事。アダムズがニューヨーカー誌に the cartoon を、何度が提出して毎回没になったと云う話。彼はその事実を常に否定していたが、そうした風評が彼の成功に役立ったのだと云う。

この Charles Addams に関する逸話は、都市伝説めいたところがあり、彼が実際にそうした the cartoon を描いたとは言い切れないと思う。しかし、描かなかったとも言い切れない。誰も the cartoon を実見したとは書いていないのだが、そのイメージは Carly Simon の物は別にして、明確に同一の物を指していて明確だからだ:「開いた戸口(恐らく、戸口の向こうは明るい筈だ)。そこに立っている看護婦。看護婦に抱かれ、襁褓に包まれた赤ん坊。こちらに背を向けた男の影。」ただ、どちらにしろ、彼の作風からするなら「如何にも」と思われるところがあって(だからこそ都市伝説臭いのだが。「イカサマ」とは「如何にも」と云うことだ)、この「逸話」そのものが、独り歩きしているのだろう。

アダムズ版と伊丹版の時間関係は、私には確かめられなかった。勿論、伊丹版は1960年代まで遡れるだろう。一方、英文版ウィキペディアによれば、アダムズの漫画が "The New Yorker" に最初に採用されたのが 1932年2月6日号、レギュラーとしての採用は1938年以降で、それが彼の死まで続いた。しかし、これだけでは、何も判断できない。もし、伊丹版が先行していて、それなりに有名であったら、アダムズの逸話は成立しなかっただろうと云う憶測は可能だが、現時点ではと何とも言えない。

さて、アダムズ版と伊丹版との基本的な相違は、一方が cartoon で、他方が verbal であることだ。それを別にすると、アダムズ版は、受けとる人物が父親と思しき男性であり、それが立っているのに対し、伊丹版では、受けとるのは母親であり、身をベッドに横たえている。ジョークのドラマツルギーから言えば、アダムズ版の方が、情景の日常性にヨリ近い分、「オチ」における無気味さへの飛躍がヨリ大きい。

ただし、伊丹版は、アダムズ版にはない、と言うか、薄められてしまっている別のグロテスク性を、濃厚に保持している。つまり、「(母)親が子供を喰う」と云うテーマで、これは明確に神話的なものだ。しかし、これは別の機会に語ろう。

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