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サッポーの詩

平凡社ライブラリー [ギリシア詩文抄] (編訳:北嶋美雪)には、Sappho (Σαπφώ) の詩が7点収められている。その内の3点を紹介する。

アッティカ方言さえままならないのに、サッポーが使ったと云うレスボス方言....

たとえば、「月は入り」 では、月が σελήνη ではなく σελάννα と表記されている。ただ、これはレスボス方言と云うより、ヤヤ広くアイオリス方言というべきものらしい(高津春繁 [ギリシア語文法] 1960年 岩波書店 p.13 [Aiolis 方言の特徴] 2 参照)。もっとも、私が調べられる範囲内で、アイオリス方言から就中レスボス方言を区別してラベルを付けるレファレンスはないようなので、以下「アイオリス方言」と呼ぶことにする。

アイオリス方言の読解は、私の能力を超えるが、自分自身のために簡単な心覚えのようなものは書いておいた。まぁ、「自分自身のための心覚え」と云うなら、この web log の全ての記事がそうなのだが...

訳文は、僭越ながら幾つかの箇所で歴史仮名遣風に改めた。好みの問題だと思って笑殺されたい。(残念ながら、今回呉茂一の [花冠] を読み合わせることが出来なかった。機会と必要があれば、改めて本稿を考え直したい):

断片52(Bergk)

月は入り
昴も落ちて
夜はいまや 丑三つどき
時は刻み 過ぎゆくも
われはただ 独りし眠る


Δέδυκε μὲν ἀ σελάννα
καὶ Πληΐαδες, μέσαι δέ
νύκτες, πάρα δ' ἔρχετ' ὤρα,
ἔγω δὲ μόνα κατεύδω.
--Sappho frs. 51-67 in Wharton (Bergk numbering)

上述の如く、第1行の "σελάννα" は "σελήνη" のアイオリス方言。
第2行: "μέσαι" は "μέσος" の詩形? "μέσος" は [中央の]、[ 中間の] の意、英語の "middle" や、(英語化している)ラテン語の "medium," "media" と同根。
第3行: "νύκτες" は "νύξ" (夜) の複数形。夜を幾つかに区切った区分(初更、次更...等)を表わす。
語順等を私になりに変えるなら:
  月は入り
  昴も落ちて 深更にこそ
  夜はなりたれ 時は更に過ぎゆき
  我はただ独りかも寝む

断片94(Bergk)

山峡(やまかひ)に 羊飼ひらの足に踏まるとも
なお土くれに 紫と咲く ヒヤシンスの花のごとくに


Οἴαν τὰν υάκινθον ἐν οὔρεσι ποίμενες ἄνδρες
πόσσι καταστείβοισι, χάμαι δ' ἐπιπορφύρει ἄνθος.
--Sappho frs. 82 to 95 in Wharton (Bergk numbering)

第2行: "δ' ἐπιπορφύρει" をどう解釈するかで、詩の雰囲気が随分変わる。北嶋訳は、「なお(土くれに) 紫と咲く」と解釈した例。他方、英訳には「萎れて色が変わる」と云うような意味にしてある例もある。

断片95(Bergk)

夕星(ゆふづつ)よ 光をもたらす暁が 散らせしものを そなたはみなつれ戻す
羊をかへし 山羊をかへし 母のもとに子をつれかへす


Ἔσπερε, πάντα φέρων, ὄσα φαίνολις ἔσκέδας' αὔως,
φέρεις οἶν, φέρες αἶγα, φέρεις ἄπυ ματέρι παῖδα.
--Sappho frs. 82 to 95 in Wharton (Bergk numbering)

第1行: "Ἔσπερε" は、ここでは 「宵の明星」(呼格) と解釈されているが、単に「夕方」を指すと云う解釈も可能。
第1行: "αὔως" は "ἠώς" のアイオリス方言。[暁] 又は [暁の神]。
第2行: "οἶν" (羊)、 "αἶγα" (山羊)、"παῖδα" (子供)、いづれも単数対格。

なお、この最後の詩には、上田敏 による翻訳が存在する。

夕づつの淸光を歌ひて

汝は晨朝(あした)の蒔き散らしたるものをあつむ。
羊を集め、山羊を集め、
母の懷に稚兒を歸す。
--[上田敏全訳詩集] p.136 (岩波文庫31-034-1) 1962年 東京。岩波書店

ちなみに、次の上田敏訳「サッフォ」も魅力的だ。

忘れたるにはあらねども

たかき樹の枝にかかり、
梢にかかり
果實(このみ)とるひとが忘れてゆきたる、
いな、
忘れたるにはあらねども、
えがたくて、
のこしたる紅き林檎の果(み)のやうに。
--[上田敏全訳詩集] p.137 (岩波文庫31-034-1) 1962年 東京。岩波書店

断片93(Bergk)


Οἶον τὸ γλυκύμαλον ἐρεύθεται ἄκρῳ ἐπ' ὔσδῳ
ἄκρον ἐπ' ἀκροτάτῳ· λελάθοντο δὲ μαλοδρόπηες,
οὐ μὰν ἐκλελάθοντ', ἀλλ' οὐκ ἐδύναντ' ἐπίκεσθαι.
--Sappho frs. 82 to 95 in Wharton (Bergk numbering)

第1行: "γλυκύμαλον" はアイオリス方言。「甘い果実」の意。
第1行: "ὔσδῳ" もアイオリス方言らしい。「枝」の意。アッティカ方言では "ὄζος"
第2行: "ἄκρον ἐπ' ἀκροτάτῳ·" は畳語による強調表現。「先端部の先端」とか「頭の天辺」とかぐらいの意味。
第2行: "λελάθοντο" は "λανθάνω" (気付かずにいる) の詩語形第2アオリスト直説法中動相三人称複数。
第2行: "μαλοδρόπηες" は "μηλοδροπεύς" 「果実を摘み取る者」詩語複数形。(Bailey)
第3行: "οὐ μὰν" は、強調された否定。
第3行: "ἐπίκεσθαι" は "ἐφικνέομαι" (届く) の第2アオリスト未完了過去。イオーニア方言らしい。


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コメント

bokumo Sappho wo siki

投稿: kan | 2008年4月 9日 (水) 19:49

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