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2007年2月の14件の記事

「大衆が恐れる者は、必ずや大衆を恐れる」: ユリウス・カエサルの面前に抛り込まれた一句。

[Quintus Fabius Maximus (クィントゥス・ファビウス・マクシムス) の言葉] を書いたついでに、セネカの [怒りについて (De ira)] に就いてもう少し書いておく。

例えば、次のような一節がある:

また、恐怖はそれを起こさせる張本人に常に戻ってきて、恐れられる者自身が安心していられない。この事実はどうであろう。ここで君は、ラベリウスの次の詩の一句を思い起こすであろう。この詩が内戦の最中に劇場で朗読された時、それは全国民の注意を一身に集め、正に一般大衆の感情が声となって投げつけられたかの観があった。
  大衆が恐れる者は、必ずや大衆を恐れる。
--岩波文庫 33-607-2 [怒りについて] セネカ。訳:茂手木元蔵。1980年。東京 岩波書店 p.66

Quid quod semper in auctores redundat timor nec quisquam metuitur ipse securus? Occurrat hoc loco tibi Laberianus ille versus qui medio civili bello in theatro dictus totum in se populum non aliter convertit quam si missa esset vox publici adfectus:
  necesse est multos timeat quem multi timent.
--"De ira" LIBER II, Cap.xi 3
上記引用和訳文中、「この事実」は、前文に係る。上記訳文に従えば「恐怖はそれを起こさせる張本人に常に戻ってきて、恐れられる者自身が安心していられないと云う、この事実はどうであろう?」と云うこと("Quid quod" は、「と云う事実はどうだろう」と云う意の成句)。
"in se ... convertit" は「(自らに)注意を集める」、"non aliter quam" は「正に」で良いだろうが、"populum" (populus 対格)を「国民」としたのはどうか。むしろ「聴衆」とすべきではなかったか。また「一般大衆の感情」とされている "vox publici adfectus" は「民衆の怨嗟の声」くらいまで訳せるかもしれない。"missa esset" は mitto の接続法過去完了三人称単数女性。拙訳を付けておくと:

恐怖と云うものは溢れて、恐怖を引き起こした人々にまで逆流するのが常なので、恐怖される者自身も安全ではないのだと云う事実はどうだろう。ここで、君は、内戦の中、劇場で朗読された際に、あたかも民衆の怨嗟の声が抛り込まれたかの感があったので聴衆が耳をそばだてたと云う、あのラベリウスの詩の一節を思い起こすだろう:
  大衆が恐れる者は、必ずや大衆を恐れる。

ここで、「内戦 (civilis bellum)」とは、ユリウス・カエサル (Gaius Iulius Caesar 或いは Gaius Julius Caesar) と反カエサル派との戦い (ルビコン川越境 49BC。ムンダ会戦45BC) のことだろう。

ラベリウス (Decimus Laberius) は、 カエサルの命により行なわされたプブリウス・シルス ( Publilius Syrus) 等との「黙劇」(mimus) 競演の際 (紀元前46年のことだと云う)、自作劇の前口上として゛カエサルの権力が大きくなりすぎたことを揶揄する詩をカエサルの面前で朗読した。そして、劇中シルスを当てこすった奴隷役で登場したラベリウスは、"Porro Quirites! libertatem perdimus" (「ところで、ローマ市民諸君! 我々は自由を失おうとしているぞ」) と叫ぶのだが、それから一呼吸置いて付け加えたのが問題の言葉だった。この「最後の一句」が発せられると、全聴衆がカエサルの方を向いて、彼に注目したという。

セネカが、下敷きにしたと言われるマクロビウス (Ambrosius Theodosius Macrobius) の "Saturnalia" の一節を引用しておく:

In ipsa quoque actione subinde se, qua poterat, ulciscebatur inducto habitu Syri, qui velut flagris caesus praeripientique se similis exclamabat:
  Porro Quirites! libertatem perdimus
et paulo post adiecit:
  Necesse est multos timeat quem multi timent.
Quo dicto universitas populi ad solum Caesarem oculos et ora convertit, notantes inpotentiam eius hac dicacitate lapidatam. Ob haec in Publium vertit favorem.
--Macrobii "Saturnalia" Liber II Cap.vii 4-5
"ora" は os の複数対格。



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「フォースのともにあらんことを 」("May the Force be with you.") をドイツ語で言うと

検索キーワードから推測すると、「フォースのともにあらんことを 」("May the Force be with you.") をドイツ語で言うとどうなるかを確認すべく、本サイトを訪問された方がいるようだ。ネットでの検索結果を参考にすると "you" をどう解釈するかで、代名詞部分が変化するが、だいたい次のようになるのではないか。

  • Möge die Macht mit euch sein.
  • Möge die Macht mit dir sein.
  • Möge die Macht mit uns sein.
  • Möge die Macht mit Ihnen sein.

日本語に訳すと、どれも「フォースのともにあらんことを 」になってしまう。

英語で考えると、"Möge" は 助動詞 "mögen" の接続法で may に、"die" は the に、"Macht" は Force に、"mit" は with に、"sein" は be に対応する。代名詞部分は "euch" が二人称複数親称 (you)、"dir" は二人称単数親称 (thee)、"uns" は一人称複数 (us)、"Ihnen" は二人称単数及び複数敬称 (you) である。

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Quintus Fabius Maximus (クィントゥス・ファビウス・マクシムス) の言葉

古代ローマにクィントゥス・ファビウス・マクシムス (Quintus Fabius Maximus) と云う将軍(独裁官、執政官)がいた(c. 275 BC-203 BC)。第二ポエニ戦役 (Seconda guerra punica) でカルタゴの驍将ハンニバル (Hannibal) と戦い、良くローマを守った人物だが、彼が常づね、こう言っていたと云う(取り敢えず、私の記憶に従って書くおくと):

将軍にとって一番恥づかしいことは「それは考えていなかった」と言って弁解することである。

実は、私は長い間、この逸話をモンテーニュ (Michel de Montaigne) の [エセー (Essais)] の中で読んだと信じていた。

このたび、その出典を確かめるために(つまり、モンテーニュ自身が、どこかから引用してきた筈なので、Essais の注釈から、そのオリジナルを探そうとしたのだ)、ネット上を調べたのだが、どうやら私の記憶が間違っていたらしい。つまり Essais の中には該当する部分がないらしいのだ。

どういうことかと訝しんでいると、私の物覚えの悪さにだめ押しするかのように、Essais 云云を通り越して「オリジナル」らしいものが見つかってしまった。セネカ (Seneca) の [怒りについて (De Ira)] である。英単語をキーワードにして検索したから、最初は英語版が出てきたが、勿論セネカはラテン語で書いている:

Turpissimam aiebat Fabius imperatori excusationem esse 'non putavi', ego turpissimam homini puto.
--"De ira" Cap.XXXI 4

そう言えば、[怒りについて] は岩波文庫で持っていた筈だ...

本を引っ張り出して、調べてみたら、歴然と読んだ跡がある、と言うか、どうやら結構「感動」したらしく、至るところに赤鉛筆で傍線が引いてある。勿論、問題の箇所にも引いてあって:

ファビアスは常にこう言っていた。最高指揮官にとって一番恥ずかしい弁解は、「自分は考えなかった」ということである、と。
--岩波文庫 33-607-2 [怒りについて] セネカ。訳:茂手木元蔵。1980年。東京 岩波書店 p.97
ちなみに、この後に「それは誰にとっても一番恥ずかしいことと私は考える。」と続く。上記引用中の "ego turpissimam homini puto" に対応する部分である。

imperatori が「将軍」より「最高指揮官」としたほうが良いのは勿論だが、そのほかにも Turpissimam が対格、aiebat が未完了過去 imperatori が与格、excusationem が対格だから、文型としては「一番恥づかしいことは『・・・』と言って弁解すること」よりも、「一番恥ずかしい弁解は、『・・・』ということ」の方が素直だろう。ただ、その場合「弁解」と云う訳語を使うのは、その形成する局所コンテキストが、元の姿より微妙にずれてしまう。

「辯疏」と云う言葉もあって、これを使えば良かろうとも思うが、取り敢えず、今私が訳すとするなら、「最高指揮官にとって、最も恥づべき釈明は『それは考えていなかった』と云うでものある」あたりから検討を始めることになるだろう。まあ、これはすぐ、「最高指揮官にとって、『それは考えていなかった』と云う釈明が最も恥づべきである」と書き換えた方が良いと思い直すだろうが...。

付言すれば、現在完了形 "non putavi" は、「自分は考えなかった」よりも「それは考えていなかった」と訳したい。あるいは、「それは想定外だった」か。

「『それは想定外だった』と云う釈明が最も恥づべきである」と云う定格が、個人の行動指針として実践的な説得力をもつかどうか、現代日本と同様、古代ローマでもあやしいものだ。だからこそ Quintus Fabius Maximus は、当初 "Cunctator" (のろま、愚図) と揶揄されたのだろう。ファビアスは、自らの行動で、この蔑称をそのまま敬意を以って称えられる「二つ名前」へと変容させていく。そこには個人と社会との関係に動態が垣間見えて興味深い。

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上田敏の訳詩: ジュル・ラフォルグ [ピエロオの詞] ("Locutions des Pierrots" par Jules Laforgue)

[上田敏全訳詩集] (岩波文庫31-034-1) から、もう一つ紹介しておく。ジュル・ラフォルグ (Jules Laforgue) の [ピエロオの詞] (Locutions des Pierrots) と云う作品である(死後出版の「牧羊神」所収)。もともとは、16の詩からなる作品だが、上田敏は連詩中12番目のみを訳している。

ピエロオの詞

また本か。戀しいな、
氣障な奴等の居ないとこ、
錢やお辭儀の無いとこや、
無駄な議論の無いとこが。

また一人ピエロオが
慢性孤獨病で死んだ。
見てくれは滑稽(をかし)かつたが、
垢拔のした奴だつた。

神樣は退去(おひけ)になる、猪頭(おかしら)ばかり殘つている。
ああ天下の事日日に非なりだ。
用もひととほり濟んだから、
どれ、ひとつ「空扶持(むだぶち)」にでもありつかう。
--[上田敏全訳詩集] p.182-183 (岩波文庫31-034-1) 1962年 東京。岩波書店


Locutions des Pierrots, XII

Encore un livre ; ô nostalgies
Loin de ces très-goujates gens,
Loin des saluts et des argents,
Loin de nos phraséologies!

Encore un de mes pierrots mort;
Mort d'un chronique orphelinisme;
C'était un coeur plein de dandysme
Lunaire, en un drôle de corps.

Les dieux s'en vont ; plus que des hures
Ah! ça devient tous les jours pis;
J'ai fait mon temps, je déguerpis
Vers l'Inclusive Sinécure!
--locutions des pierrots, xii

読んでいて "hures" と "Inclusive Sinécure" は分かったような、分からないようところがある。上田敏が「猪頭(おかしら)」、「空扶持(むだぶち)」に就いても、留保を付けたくなるのだが、そこに明確な根拠があるわけではない。代替案があるわけでもない。しかし、僅かながらやはり気になる。というか、このままで釈然としたいのに釈然と出来ないもどかしさがある。

なお、堀口大學の訳詩集 [月下の一群] に [ジュールラフォルグ] の [ピエロの言葉] (私が持っているのは新潮文庫版では、pp.176-177) が収められているが、これは、連詩中第14番の翻訳である。原詩は以下の通り:

Locutions des Pierrots, XIV

Les mains dans les poches,
Le long de la route,
J'écoute
Mille cloches
Chantant: "les temps sont proches;
"Sans que tu t'en doutes!"

Ah! Dieu m'est égal!
Et je suis chez moi!
Mon toit
Très-natal
C'est Tout. Je marche droit,
Je fais pas de mal.

Je connais l'Histoire,
Et puis la Nature,
Ces foires
Aux ratures;
Aussi je vous assure
Que l'on peut me croire!
--locutions des pierrots, xiv
堀口大學が "foires aux ratures" を「嘘のはきだめ」と訳したのは、是か非か? 総体、この詩における堀口の翻訳は、原詩の字面に引き摺られた挙げ句、最後に転んでしまった趣きがある。

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サッポーの詩

平凡社ライブラリー [ギリシア詩文抄] (編訳:北嶋美雪)には、Sappho (Σαπφώ) の詩が7点収められている。その内の3点を紹介する。

アッティカ方言さえままならないのに、サッポーが使ったと云うレスボス方言....

たとえば、「月は入り」 では、月が σελήνη ではなく σελάννα と表記されている。ただ、これはレスボス方言と云うより、ヤヤ広くアイオリス方言というべきものらしい(高津春繁 [ギリシア語文法] 1960年 岩波書店 p.13 [Aiolis 方言の特徴] 2 参照)。もっとも、私が調べられる範囲内で、アイオリス方言から就中レスボス方言を区別してラベルを付けるレファレンスはないようなので、以下「アイオリス方言」と呼ぶことにする。

アイオリス方言の読解は、私の能力を超えるが、自分自身のために簡単な心覚えのようなものは書いておいた。まぁ、「自分自身のための心覚え」と云うなら、この web log の全ての記事がそうなのだが...

訳文は、僭越ながら幾つかの箇所で歴史仮名遣風に改めた。好みの問題だと思って笑殺されたい。(残念ながら、今回呉茂一の [花冠] を読み合わせることが出来なかった。機会と必要があれば、改めて本稿を考え直したい):

断片52(Bergk)

月は入り
昴も落ちて
夜はいまや 丑三つどき
時は刻み 過ぎゆくも
われはただ 独りし眠る


Δέδυκε μὲν ἀ σελάννα
καὶ Πληΐαδες, μέσαι δέ
νύκτες, πάρα δ' ἔρχετ' ὤρα,
ἔγω δὲ μόνα κατεύδω.
--Sappho frs. 51-67 in Wharton (Bergk numbering)

上述の如く、第1行の "σελάννα" は "σελήνη" のアイオリス方言。
第2行: "μέσαι" は "μέσος" の詩形? "μέσος" は [中央の]、[ 中間の] の意、英語の "middle" や、(英語化している)ラテン語の "medium," "media" と同根。
第3行: "νύκτες" は "νύξ" (夜) の複数形。夜を幾つかに区切った区分(初更、次更...等)を表わす。
語順等を私になりに変えるなら:
  月は入り
  昴も落ちて 深更にこそ
  夜はなりたれ 時は更に過ぎゆき
  我はただ独りかも寝む

断片94(Bergk)

山峡(やまかひ)に 羊飼ひらの足に踏まるとも
なお土くれに 紫と咲く ヒヤシンスの花のごとくに


Οἴαν τὰν υάκινθον ἐν οὔρεσι ποίμενες ἄνδρες
πόσσι καταστείβοισι, χάμαι δ' ἐπιπορφύρει ἄνθος.
--Sappho frs. 82 to 95 in Wharton (Bergk numbering)

第2行: "δ' ἐπιπορφύρει" をどう解釈するかで、詩の雰囲気が随分変わる。北嶋訳は、「なお(土くれに) 紫と咲く」と解釈した例。他方、英訳には「萎れて色が変わる」と云うような意味にしてある例もある。

断片95(Bergk)

夕星(ゆふづつ)よ 光をもたらす暁が 散らせしものを そなたはみなつれ戻す
羊をかへし 山羊をかへし 母のもとに子をつれかへす


Ἔσπερε, πάντα φέρων, ὄσα φαίνολις ἔσκέδας' αὔως,
φέρεις οἶν, φέρες αἶγα, φέρεις ἄπυ ματέρι παῖδα.
--Sappho frs. 82 to 95 in Wharton (Bergk numbering)

第1行: "Ἔσπερε" は、ここでは 「宵の明星」(呼格) と解釈されているが、単に「夕方」を指すと云う解釈も可能。
第1行: "αὔως" は "ἠώς" のアイオリス方言。[暁] 又は [暁の神]。
第2行: "οἶν" (羊)、 "αἶγα" (山羊)、"παῖδα" (子供)、いづれも単数対格。

なお、この最後の詩には、上田敏 による翻訳が存在する。

夕づつの淸光を歌ひて

汝は晨朝(あした)の蒔き散らしたるものをあつむ。
羊を集め、山羊を集め、
母の懷に稚兒を歸す。
--[上田敏全訳詩集] p.136 (岩波文庫31-034-1) 1962年 東京。岩波書店

ちなみに、次の上田敏訳「サッフォ」も魅力的だ。

忘れたるにはあらねども

たかき樹の枝にかかり、
梢にかかり
果實(このみ)とるひとが忘れてゆきたる、
いな、
忘れたるにはあらねども、
えがたくて、
のこしたる紅き林檎の果(み)のやうに。
--[上田敏全訳詩集] p.137 (岩波文庫31-034-1) 1962年 東京。岩波書店

断片93(Bergk)


Οἶον τὸ γλυκύμαλον ἐρεύθεται ἄκρῳ ἐπ' ὔσδῳ
ἄκρον ἐπ' ἀκροτάτῳ· λελάθοντο δὲ μαλοδρόπηες,
οὐ μὰν ἐκλελάθοντ', ἀλλ' οὐκ ἐδύναντ' ἐπίκεσθαι.
--Sappho frs. 82 to 95 in Wharton (Bergk numbering)

第1行: "γλυκύμαλον" はアイオリス方言。「甘い果実」の意。
第1行: "ὔσδῳ" もアイオリス方言らしい。「枝」の意。アッティカ方言では "ὄζος"
第2行: "ἄκρον ἐπ' ἀκροτάτῳ·" は畳語による強調表現。「先端部の先端」とか「頭の天辺」とかぐらいの意味。
第2行: "λελάθοντο" は "λανθάνω" (気付かずにいる) の詩語形第2アオリスト直説法中動相三人称複数。
第2行: "μαλοδρόπηες" は "μηλοδροπεύς" 「果実を摘み取る者」詩語複数形。(Bailey)
第3行: "οὐ μὰν" は、強調された否定。
第3行: "ἐπίκεσθαι" は "ἐφικνέομαι" (届く) の第2アオリスト未完了過去。イオーニア方言らしい。


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Duane Michals の詩 "All things mellow in the mind"

Duane Michals (デュアン・マイケルズ) と云う写真家がいる。この人は、単に写真を撮るだけでなく、そのプリントにちょっとした短文を添えることがあるようで、実際、私が少し気になって買った(数年前、或いは更に以前?) picture postcard (Sidney Janis gallery (閉鎖中) 及び Fotofolio (要登録)) がそれだった。

写真はモノクロ、裸体の男性上半身像で、左手は自らの頭にもたせかけ、右手は頭蓋骨を自分の顔と同じ高さに捧げ持っている。頭蓋骨と男性の顔は、両方とも正面向きだ。

私の持っている postcard ではマイケルズの詩が写真の左側に(恐らく自筆で)書かれているのだが、オリジナルでは、詩のタイトルが写真の上、本体が写真の下に書いてあるようだ(写真だけなら、もう少し大きい画像が、"Thomas Paul Fine Art: MICHALS, Duane (1932- ) All Things Mellow in the Mind" で見られる)。

そこに書かれているのは、こう云う詩である:


ALL THINGS MELLOW IN THE MIND

ALL THINGS MELLOW IN THE MIND,
A SLEIGHT OF HAND, A TRICK OF TIME.
AND EVEN OUR GREAT LOVE WILL FADE,
SOON WE'LL BE STRANGERS IN THE GRAVE.

THAT'S WHY THIS MOMENT IS SO DEAR.
I KISS YOUR LIPS, AND WE ARE HERE.
SO LET'S HOLD TIGHT, AND TOUCH AND FEEL,
FOR THIS QUICK INSTANT, WE ARE REAL.

心愉しかったことの全てや

心愉しかったことの全てや
手練手管も、物のはずみも
そして二人の素晴らしい愛さえも、消えていくのが「ものの運命(さだめ)」。
もうぢき、二人は土の下に行く。そうして二人は見ず知らずになる。

だからこそ、この今の愛おしさ。
君の唇にキスすれば、僕らは確かにここにいる。
そしてしっかり抱き合おう。互いに触れ合い、感じ合う
その時、その時にだけ、確かに僕らは生きている。

ここで、注意しておくと、写真との組み合わせから判断するなら、この詩の "GRAVE" は、「黄泉の国」とか「あの世」の隠喩としてではなく、「人間が骸骨になるところ」と云う直裁な含意があると云うことだ。

デュアン・マイケルズは同性愛者だと云う。そして、そのことを念頭に入れて彼の作品は理解されることがあるようだ。

例えば、ポール・アンソニー・ジョンストン (Paul Anthony Johnston) が、自ら製作した写真シリーズ "SERO-LOGUES" を題材にして、所謂 AIDS の写真表現に及ぼした影響や写真表現の HIV 抗体陽性者への役割を論じた ""SERO-LOGUES:" A COLLABORATIVE APPROACH TO AlDS PHOTOGRAPHIC REPRESENTATION" (YORK UNIVERSITY, NORTH YORK, ONTARIO. JULY 1997) において、マイケルズに HIV 抗体陽性者や AIDS 発症者を被写体にしたことがないと言われて意外に思った (p.68) と書いていることが逆に証明している。

また、米国におけるゲイの共同体である "Radical Faeries" (当初は男性同性愛者のみの共同体だった、現在はそうでもないらしい) に就いての報告記事 (1998 K. Mark Demma) には、シャボン玉を吹きつつ "All things mellow in the mind." と語る HIV 抗体陽性の男性 Dane (Wonder's wife) が登場する。仲間の一人 Elbow が、心臓の外科手術を控えていて不安で堪らないのだけれど、仲間と一緒にいると、それが和らぐと告白したのを受けた言葉らしい。

しかし、私はと言えば、見事に鈍感で、問題のポストカードを見たときは、Hamlet の一場面なぞを連想していた。

この "ALL THINGS MELLOW IN THE MIND" が、彼のどの写真集に収められているかは、確認できなかった。写真集に収められているかどうかも不明だ。ただ、作成年度が1986年/1987年ぐらいらしいことが分かっただけだ。そうすると、"Album : The Portraits of Duane Michals, 1958-1988" あたりか、あるいは素材としてなら "Eros and Thanatos" (発行:1993年4月。Amazon.co.jp では成人指定)かもしれないと云う気もするが、すべて未確認。



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「あるグロテスク・ジョーク (伊丹十三 [ヨーロッパ退屈日記] に関連して)」補足

[あるグロテスク・ジョーク (伊丹十三 [ヨーロッパ退屈日記] に関連して)] (2007年2月10日) では、[ヨーロッパ退屈日記] 中の [産婦の食慾] と云う段に紹介されたジョークの話をしたが、それを聞かせてくれたのがイギリス人の男性同性愛者であることを引き取って、話は次のように続く:

 一般に、というようなことはいいたくないが、わたくしの狭い経験の範囲では、彼らは、普通の外国人よりずっと細やかに動く、襞の多い心を持っている。礼儀作法ではなく、心の翳りから生まれた気がねや思いやりを持っているように思われる。人間関係において非常に我慢強く、赦すこと、諦めることを知っている。つまり、私小説的な精神風土に育ったわたしたち日本人には、たいへん近しく、親和力を感じさせる存在である。

 普通の西洋人は、わたくしには、何かずっと酷薄な、武装した存在に感じられる。友達づき合いをしていても、いつ、しらじらしいただの他人に変化してしまうかわからない。自分の権利が少しでも犯されそうになろうものなら、ただちに冷たい叱責をまなざしに浮かべて、激しく抗議してくるに違いない振幅の狭さが感じられて気が赦せない。

 あるいはまた、普段ひどく無口で、はにかみやの大男が、突然、われわれアメリカ南部の白人が、過去においていかに黒人と美しい協調をなしとげてきたか、いかに黒人が現状に満足しているか、黒人問題などというものは、実際問題として南部には存在しない、という驚くべき発言を、アメリカ人独特の、身についた正義の身振りで愚かしくしゃべりたてるのである。

 これは我慢がならない。屈託のない心、含羞のない心、これは我慢がならない。

 わたくしの外国の友人たちが、イタリー人を除いてほぼホモ・セクシャルである、というのはかかる理由による。

同性愛者の性格に関する記述に対する評言は、私には材料がないので控える。ただ、この文章が書かれた、1960年代前半は、アメリカ合衆国第34代大統領 Dwight D. Eisenhower が、同性愛者の連邦政府職員就業禁止を命じた条項(第8条a項1-3)を含む行政命令第10450号を発した1953年4月27日(多くの州・地方自治体・企業が、連邦政府の措置に追従し、また FBI による捜査が行なわれたと云う)と、言ってみればゲイたちが「人間関係において非常に我慢強く、赦すこと、諦めること」を止めた Stonewall riots が発生した1969年6月28日(この日の未明ニューヨーク市グレニッチ・ヴィレッジの gay bar "Stonewall Inn" に対してニューヨーク市警が行なった家宅捜索に対し、同性愛者たちが抵抗し、それが発端となって終焉まで数日間かかる「暴動」が起こった。これを契機にアメリカ合衆国において同性愛者たちの権利を求める運動が昂揚する)との間に挟まれていることは、一応指摘しておこう。

「普通の西洋人」の性格に就いても、"9.11" 以降のアメリカ合衆国の姿を思い起こして、つい何事かを言いたくなるのだが、情緒に対して情緒で反応しても仕方がない、多くは言うまい。ただ、かって南アフリカ共和国において、白人政権が倒れた前後(1994年)だと思うが、TV の報道番組で現地の白人が、彼らが「過去においていかに黒人と美しい協調をなしとげてきたか、いかに黒人が現状に満足しているか、黒人問題などというものは、実際問題として存在しない」と云ったたぐいの驚くべき発言をしていたと記憶する。これが「白人の性格」なのか、「『奴隷』利用者の性格」なのかは(勿論、両者は相関しているかもしれない)、軽軽に判断すべきではないのだろうが、こうした人物類型が存在することは確かだろう。

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あるグロテスク・ジョーク (伊丹十三 [ヨーロッパ退屈日記] に関連して)

伊丹十三のエッセイ [ヨーロッパ退屈日記] に就いて、もう少し書いておく。

[産婦の食慾] と題する一段は、このようにして始まる。

 シック・ジョークとか、ブラック・ヒューマーとかいった類の、病的で陰惨な笑いがある。たとえばこんなぐあいだ。

 ある参院の一室で、今しがた分娩をすました婦人がベッドに身を横たえている。彼女の顔には、過ぎ去った苦痛と、激しい疲労が、はっきりと跡をとどめているが、しかしそれとても、彼女の顔に誇り高い安らぎの微笑が浮び上ってくるのを覆い隠すことはできなかった。
 この時、ドアが静かに開いて、一人の看護婦が晴やかにはいってくる。彼女の腕の中には、真白なタオルに柔らかく包まれて、赤ん坊が、天使のようなバラ色の頬をして眠っている。母親は待ち兼ねたように手を差し伸べていった。

「あら、わざわざ包んでくれなくてもよかったのに。今すぐここで食べるんだから。」

わたくしにこの話をしてくれたのは、あるホモ・セクシュアルのイギリス人である。そのせいかわたくしには、この小咄を作ったのがどうもホモ・セクシュアルの男のように思えてならないのだ。彼らはこんなふうな他愛ないやり方で、常に女権を失墜させようと企んでいるのである。
--[ヨーロッパ退屈日記] 文春文庫版 pp.64-65

私だったら、このタイプのジョークは「グロテスク」 と形容する。Punch line そのものが、日常的な表現であるために、「あら、わざわさ包んでくれなくてもよかったのに。今すぐここで食べるんだから。」で、「通常なら」祝福されるべき情景である [前振り] が無気味なものに転化するだけでなく、「あら、わざわさ包んでくれなくてもよかったのに。今すぐここで食べるんだから。」で、「通常」 想起される「日常的」情景そのものが無気味なものに転化する。

余談だが、不図思い立って "grotesque jokes" で google 検索してみたら、雑誌のアーカイヴ・データベースである JSTOR (Journal STORage) で [Film Quarterly, Vol. 41, No. 3 (Spring, 1988), pp. 37-40] に掲載された 伊丹十三作品 [お葬式] への批評が見つかった(著者: Ray Sawhill)。基本的に公的機関向けであるらしく、私のようなタダの人には、この JSTOR のサイトに収められた情報には直接アクセスできないようだが、著者本人のサイト "Wiggle Room - Writing on Art and Culture by Ray Sawhill" の方に同内容と思われる記事 "The Funeral, directed by Juzo Itami" が掲載されている(このページは、本稿作成時点では google に引っ掛からないようだ)。そこでは、[お葬式] の幾つかのショットが "grotesque jokes" であると言われている。

ジョークのオリジナルを探すのは、多岐亡羊となるのが普通で、余り意味がないのだが、一応探してみた。

とは言え、勿論、[ヨーロッパ退屈日記] には、[産婦の食慾] の英語版は示されていない。若干の試行錯誤の後、結局作業は punch line を英語に復元して、それでネット検索すると云うものに収斂していった。

ワザワザ説明するまでもないと思うが、punch line の復元の際に指針としたのは、ここで赤ん坊を示す代名詞は "it" であるべきだろうと云うことだ。古臭く、或いは/そして、失礼になりうるとは言え、赤ん坊を受ける代名詞として "it" が、文法上許容されるからこそ(例えば [It (pronoun) - Wikipedia, the free encyclopedia] 参照)、このジョークが成立する筈だからだ。

と云う訣で、("wrap it"|"wrapping it") "I'll eat it" nurse で google 検索すると(勿論、その他のキーワードも確かめてみたが、その話は省略する)、そこから Charles Addams (1912年1月7日–1988年9月29日) が同工の cartoon (一コマ漫画) を描いたと云う逸話があることを知った。チャールズ・アダムズ...

再び余談だが、普通は「アダムス」と表記されることが多いようだ。しかし、私としては有声化の s であることが分かるように「アダムズ」と書きたい(そうでない具体的な理由が出てこない限りの話だが)。こう云うことはゆるがせにしない都筑道夫も、「チャールズ・アダムズ」と書いている。でも、みんな気にしないのだろうな。そう言えば、フェルマー予想解決のニュースが伝わった当初、数学者でさえ "Wiles" を「ワイルス」と表記する人が多くて、自分の書き方(勿論「ワイルズ」)の裏付けが取れず私は腐った想い出がある。まぁ、「こう云うことで数学者をあてにしても仕方がない」と「ワイルズ」にしたが...

とは言え、あまり厳格にもしていられないのだ。例えば、私も news は、「ニューズ」と書くとわざとらしい時などは「ニュース」と表記するし、また、このブログでは、引用との接続をなだらかにしたかったので Asimov も「アジモフ」ではなくて「アシモフ」と書いて、それで良かったかと反省している。

チャールズ・アダムズは、日本では映画 [アダムズ・ファミリー] (1960年代にはテレビ版があって、日本でも放送された) の原作者と云う形でぐらいでしか、一般には知られていないかもしれない。実を言うと、私も、彼の漫画は確かに何度も見た図柄であるのに、何処で見たのか憶えていない。やはり雑誌 "The New Yorker" あたりだろうか? 以前読んだことがある星新一の [進化した猿たち] でも紹介されているらしいのだが、全く記憶がない。

だから Charles Addams に就いて語るべきものを持たないのだが、取り敢えずネット上では彼が描いたと云う一コマ漫画 (以下 "the cartoon") がどのようなものであったか説明されているかというと:

Patriside: No regrets, just rugrats
Tuesday, March 01, 2005
"Don't Bother Wrapping It, I'll Eat It Here"
There's a story, probably apocryphral, regarding the late, great New Yorker cartoonist Charles Addams. The tale involves a particular gruesome cartoon that Addams would submit on a semi-regular basis: a delivery nurse holding up a newborn to a shady-looking man who says, "Don't bother wrapping it, I'll eat it here." Whenever Addams submitted this particular cartoon to the editors at the New Yorker, it was a sure sign he was due for some time chasing butterflies at Bellevue.
--Patriside
「"World Party, Private Revolution" を聴く」と云う副題がある記事の導入部。チャールズ・アダムズは、"The New Yorker" 誌編集部に、時々 the cartoon を提出したことになっている。そう云うときは、決まって暫く後に、「彼は "Bellevue" で蝶を追い掛けて時を過ごした」と云うのだが、この「蝶を追い掛け」のくだりが分からない。"Bellevue" は "Bellevue Butterfly Garden" のことかもしれないが、この施設はアメリカ中西部アイオア州 のベルヴュー (Bellevue) にあり、ニューヨークからは離れすぎている。

"Charles Addams" Written by Linda H. Davis: Publisher: Random House
EXCERPT: Chapter One
The story most often heard concerned a Charles Addams cartoon about a ghoul in a maternity room, come to claim his offspring. "Don't bother to wrap it; I'll eat it here,” he tells the nurse. They said that Addams would have periodic mental breakdowns and begin drawing the gruesome maternity room cartoon. Or he'd redraw "The Skier," his classic 1940 cartoon showing single ski tracks on either side of a tree, as though the skier seen vanishing down the hill has passed right through it. As Addams would begin madly sketching the skier or the maternity ghoul (depending on which version of the story you heard), his New Yorker employer had him carted off in an ambulance to the loony bin.
--Random House Publishing Group | Charles Addams by Linda H. Davis
ランダムハウス社から出ているアダムズの伝記の摘要。アダムズは、精神的に崩壊すると、the cartoon か、「スキーヤー」と云う1940年に描いた別の有名なひとコマ漫画を改めて書いていたと云う。ちなみに、都筑道夫が推理小説 [最長不倒距離] の冒頭部で「グロテスク漫画で知られるアメリカのチャールズ・アダムズに、そっくりの作品があったのを、片岡直次郎はおぼえている」と触れているのが、この「スキーヤー」だろう。

BBC h2g2
Charles Addams - Cartoonist
Though his friends would always attest to his charming, friendly nature, Addams revelled in his notoriety as someone to be worried by. A story that often went around about him was that he'd once drawn a cartoon of an alley-way with a door open ajar. Through the door, a nurse is shown holding a baby, standing in front of a shady-looking man, saying 'Don't wrap it, I'll eat it on the way home.' The story goes that the cartoon was rejected by every editor he ever worked for as being just too much. Whether or not the tale is apocryphal or not has never been proven, but Addams never dissuaded anyone from believing it; he felt anything so dark could only enhance his reputation as an artist prepared to go that little bit further.
--BBC - h2g2 - Charles Addams - Cartoonist - A713891
BBC ウェブサイトでのアダムズの紹介記事。The cartoon は、どの編集者に見せても没になったと云うことになっている。それが、事実であったかどうかは不明だが、アダムズ自身は否定しなかったとのこと。

Carl D. Patterson
My Crowd
Sunday, January 16th, 2005 - Posted in Book Review
Great cartoons that don't always feature the Addams family characters, who were only named when the TV series was created.
I once read that Charles Addams suffered from depression. He was creating cartoons for the New Yorker newspaper and his drawings would get darker and darker, befitting his mood. The staff at the newspaper knew this and one cartoon was allegedly too dark for publication. It depicted an alleyway, a sinister figure, cloaked appropriately, was standing outside a door way. A nurse, standing in a circle of light was holding a baby, wrapped in a blanket. The figure was looking down at the infant. The caption simply read, "Don't wrap it, I'll eat it on the way home". Delicious.
--Carl D. Patterson ≫ Blog Archive ≫ My Crowd
アダムズの著作 "My Crowd" へのコメント。筆者 (Carl D. Patterson?) は the cartoon が、うつ状態のアダムズにより描かれたと云うことを読んだことがあると云う。

"Crude Set for a Short-Term Slide" By Howard Simons: RealMoney.com Contributor
11/15/2005 7:53 AM EST
Legend has it that macabre cartoonist Charles Addams, now better known as the creator of The Addams Family than for his long-running work for The New Yorker, kept a single cartoon in his desk drawer to shoo away editors around deadline. It depicted a maternity ward nurse handing a swaddled newborn over to its father, whose response was the caption, "Don't bother wrapping it, I'll eat it here."
--Crude Set for a Short-Term Slide
原油市場に就いての話の前振り。アダムズは the cartoon を引き出しに仕舞っておいて、締切間際に編集者を追い払うのに使ったと云う。

Carly Simon:Ask Carly
11/29/03
It's the oddest question, because my inspiration had very little to do with anything OTHER than an old New Yorker Cartoon (then in a book of Charles Adams') showing a baby, just born, behind a glass nursery in a hospital. The nurse is holding the baby up for the father to see. He's got a hat on and looks typically tuned in and out at the same time. The caption reads: "Don't wrap it up, I'll eat it here".
Very spooky and Charles Adamsy. I love it. Of course it can mean a whole lot of different things and I took it in a less 'black comedic' direction into the realms of love and romance.
--Carly Simon Official Website - Ask Carly
Carly Simon は米国の所謂シンガーソングライター。1990年に "Don't Wrap It Up" を含むアルバム "Have You Seen Me Lately?" をリリースしている。この文章は、ファンから "Don't Wrap It Up" 作詞のインスピレーションを尋ねられたのに答えたもの。Carly Simon は、the cartoon が出版されていると信じている。また、情景も他の物とは異なり、ガラス張りの新生児室になっている。

EW.com by Entertainment Weekly and Time Inc.
Cover Story: THE WIZARD OF ODD
Posted Nov 15, 1991 | Published in issue #92 Nov 15, 1991
The artist allegedly flirted with insanity several times over the course of his career, with each breakdown signaled by his submission (which The New Yorker invariably refused) of a cartoon showing a vampire in a maternity ward, telling a nurse holding a baby, ''Don't wrap it up, I'll eat it here.'' Addams always denied the story, though he thrived on the public's perception of him as a man a little too close to the edge.
--THE WIZARD OF ODD | The Addams Family (Movie - 1991) | Cover Story | News + Notes | Entertainment Weekly
アダムズの人物像を紹介した記事。アダムズがニューヨーカー誌に the cartoon を、何度が提出して毎回没になったと云う話。彼はその事実を常に否定していたが、そうした風評が彼の成功に役立ったのだと云う。

この Charles Addams に関する逸話は、都市伝説めいたところがあり、彼が実際にそうした the cartoon を描いたとは言い切れないと思う。しかし、描かなかったとも言い切れない。誰も the cartoon を実見したとは書いていないのだが、そのイメージは Carly Simon の物は別にして、明確に同一の物を指していて明確だからだ:「開いた戸口(恐らく、戸口の向こうは明るい筈だ)。そこに立っている看護婦。看護婦に抱かれ、襁褓に包まれた赤ん坊。こちらに背を向けた男の影。」ただ、どちらにしろ、彼の作風からするなら「如何にも」と思われるところがあって(だからこそ都市伝説臭いのだが。「イカサマ」とは「如何にも」と云うことだ)、この「逸話」そのものが、独り歩きしているのだろう。

アダムズ版と伊丹版の時間関係は、私には確かめられなかった。勿論、伊丹版は1960年代まで遡れるだろう。一方、英文版ウィキペディアによれば、アダムズの漫画が "The New Yorker" に最初に採用されたのが 1932年2月6日号、レギュラーとしての採用は1938年以降で、それが彼の死まで続いた。しかし、これだけでは、何も判断できない。もし、伊丹版が先行していて、それなりに有名であったら、アダムズの逸話は成立しなかっただろうと云う憶測は可能だが、現時点ではと何とも言えない。

さて、アダムズ版と伊丹版との基本的な相違は、一方が cartoon で、他方が verbal であることだ。それを別にすると、アダムズ版は、受けとる人物が父親と思しき男性であり、それが立っているのに対し、伊丹版では、受けとるのは母親であり、身をベッドに横たえている。ジョークのドラマツルギーから言えば、アダムズ版の方が、情景の日常性にヨリ近い分、「オチ」における無気味さへの飛躍がヨリ大きい。

ただし、伊丹版は、アダムズ版にはない、と言うか、薄められてしまっている別のグロテスク性を、濃厚に保持している。つまり、「(母)親が子供を喰う」と云うテーマで、これは明確に神話的なものだ。しかし、これは別の機会に語ろう。

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"Amazing Grace" の楽譜

"Amazing Grace" の楽譜を探している方がいらっしゃるようだが、以下を参照されることをお薦めする。言うまでもないかとは思うが、それぞれの楽譜の利用に際しては、権利及び利害関係に就いて、ご自身の責任で処理されたい。

Numbered musical notation - Wikipedia, the free encyclopedia

Amazing Grace
ただし、これだと "Numbered musical notation" に就いての説明の行きがかり上の実例として示されているので、取り敢えずは必要がない情報も含まれているかもしれない。従って、より直接的には、

Image:AmazingGraceFamiliarStyle.PNG - Wikipedia, the free encyclopedia

を見られた方が良いかもしれない。



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毛沢東郷関ヲ出ヅ

毛沢東に [改西乡隆盛诗赠父亲] (改西郷隆盛詩贈父親) と云う七言絶句がある。

七绝·改西乡隆盛诗赠父亲 (1909年)

孩儿立志出乡关,学不成名誓不还。
埋骨何须桑梓地,人生无处不青山!
--人民网>>中国共产党新闻>>领袖人物>>人民领袖毛泽东>>诗词作品

これは簡体字版だが、繁体字版(というか、日本語の旧字体版)では、次のものがネット上で見つかった。

留呈父親 毛澤東 (1910年)

孩兒立志出郷關,學不成名誓不還;
埋骨何須桑梓地,人間無處不靑山。
--毛沢東詩詞 留呈父親 詩詞世界 (碇豊長の詩詞 漢詩)

この二つの版を比べると、作成年度が一年、第四句が「人生」と「人間」とで異なっているが、いづれにしろ、この詩を藉りて郷関を出ようとする青年の志を述べたものと理解してよいだろう。しかし、具体的にはどのような状況であったのか?

試みに、中文版の wikipedia [毛泽东] を見た。ところが、それからは毛沢東が 1893年12月26日生まれであったことは分かったが、1909年/1910年の記載が見当たらない:

1893年12月26日,毛泽东出生在湖南省长沙府湘潭县韶山冲(今湖南省湘潭市韶山市)的一个中农家庭中。1908年,其父毛顺生为他配婚与罗氏(罗一秀),但毛泽东始终不承认这桩婚事。1911年春,到湖南长沙湘乡驻省中学求学。1912年,以第一名的成绩考入湖南全省公立高等中学校(今长沙市第一中学),次年春考入湖南省立第四师范学校,学校后来并入湖南省立第一师范。

ただ、父 毛順生 (毛顺生) により1908年に結婚させられた (其父毛顺生为他配婚与罗氏) 最初の妻 羅一秀 (罗一秀) が、1910年春に病死していることだけが分かっただけだ(个人生活)。

しかたがないので、別のサイトを探してみると、次のようなものが見つかった(簡体字版と繁体字版、双方を示す)。

  一九一○年秋天,毛泽东离开闭塞的韶山,走向外面更广阔的世界。这是他人生历程中的第一个转折。他的激动心情是可以想象的。临行前,他改写了一首诗,夹在父亲每天必看的帐簿里:“孩儿立志出乡关,学不成名誓不还。埋骨何须桑梓地,人生无处不青山。”
-- 中国共产党新闻>>毛泽东纪念馆>>一、出乡关

 一九一○年秋天,毛澤東離開閉塞的韶山,走向外面更廣闊的世界。這是他人生歷程中的第一個轉折。他的激動心情是可以想象的。臨行前,他改寫了一首詩,夾在父親每天必看的帳簿裡:“孩兒立志出鄉關,學不成名誓不還。埋骨何須桑梓地,人生無處不青山。”
--中國共產黨新聞>>毛澤東紀念館>>一、出鄉關

取り敢えず、この情報で良しとすべきだろう。つまり、詩は1910年秋に毛沢東が故郷を出る時に関わると云う訣だ(「他改寫了一首詩,夾在父親每天必看的帳簿裡/彼は、ある詩を書き直したものを、父親が毎日看る帳簿に挿み込んだ」)。

さらに [出乡关] に従って述べるなら、故郷(湖南省長沙府湘潭県韶山衝)を出た毛沢東は、韶山から五十里 (「公里 km」かどうか未確認) ほど離れた所の「湘郷県立東山小学堂 (湘乡县立东山小学堂)」に入学する。この小学堂は、湘郷県城近くの東山台の麓にあった。類似の私塾と比べて、伝統的な四書五経を始めとする経書以外に自然科学・地理・英語等の新学問を教えることが毛沢東には魅力だったらしい。

どうやら毛沢東を湘潭県城の米屋に徒弟奉公させるつもりだった父 毛順生 は、この進学には当初反対したらしく、親戚(母方の従兄弟? 文園昌)の説得でようやく同意してくれたのだが、そうした父に対し彼は「學不成名誓不還」と、意気込みを見せたかったのだろう。

1911年春に、東山小学堂にいた教師 賀嵐岡 (贺岚冈) が、長沙の湘郷駐省中学に転任すると、毛沢東もそれに合わせて、同校を入試合格したようだ。

さて、毛沢東が手本にした問題の詩は、西郷隆盛のものではなく、幕末の僧 [月性] の作と伝えられている詩 [將東遊題壁] (まさに東遊せんとして壁に題す) であることは良く知られているとおりだ([月性] は、西郷隆盛と共に錦江湾に身を投じた僧 [月照] とは別人)。特に「ジンカン到る所セイザンあり」と云う最後の一句は、諺にさえなっている。

將東遊題壁 釋月性

男兒立志出郷關  男児 志を立てて 郷関を出づ
學若無成不復還  学 もし成るなくんば 復還らず
埋骨何期墳墓地  骨を埋むるに 何ぞ墳墓の地を
             期せんや
人間到處有靑山  人間 到るところ青山あり
--釈月性 将東遊題壁 日本漢詩選 詩詞世界 (碇豊長の詩詞 漢詩)

月性版の出だし「男兒」を毛沢東が「孩兒」にしたのは、日本語と中国語の語感の違いの問題かもしれないが、第2句で「不復還」を「誓不還」としたのは、毛少年の客気だろう。

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ちなみに: [人人為我,我為人人] ([人人为我,我为人人]) は、よく使われる「中国語表現」である。

記事 ["One for all, and all for one" (「一人は万人のために、万人は一人のために」) に就いて] (2007年1月30日) 末尾で触れた [人人為我,我為人人] (簡体字では [人人为我,我为人人])、或いはむしろ [我為人人,人人為我] ([我为人人,人人为我]) は、よく使われる「中国語表現」である。

名人名言/經典名人名言30句」や「Yahoo! 雅虎 知识堂 [“我为人人,人人为我”出自何处?]」から分かるように、それが、アレクサンドル・デュマ・ペール (大仲马) の小説 [三銃士] ([三个火枪手] 又は [三劍客]) に由来すると云うことも、少なくともある程度は知られている(これは日本でも同様だろう)。

[雷锋纪念馆ウェブサイト中の或るページ] に見られるように、 [我為人人,人人為我] は、中国共産党が伝説的な労働英雄に仮託した期待される労働者像の属性であるだけでなく(「团结友爱,互相帮助,我为人人,人人为我的良好风气,雷锋正是在这样的时代精神熏陶下茁壮成长起来的」)、党が現在の人民に口を酸っぱくして説いている道徳律でもある。

形成我为人人、人人为我的社会氛围
2007年01月19日01:14

 ●我为人人和人人为我是辩证统一的整体,二者不能分割。只有先做到我为人人,才能实现人人为我。这种价值取向是与社会主义核心价值体系相一致的正确价值取向。
 ●我为人人、人人为我的价值取向,对国家、对社会、对他人充满责任感,是调节人际关系、维护社会秩序、促进社会和谐的润滑剂。
 推进和谐文化建设,构建社会主义和谐社会,是我们当前面临的重大战略任务。党的十六届六中全会《决定》指出,要“推动形成我为人人、人人为我的社会氛围。”和谐文化建设首先要求树立正确的价值取向。我为人人、人人为我,是处理个人与他人、个人与社会关系的正确价值取向。大力倡导我为人人、人人为我的价值取向,对于促进社会和谐具有极其重要的意义。

《人民日报》 (2007-01-19 第09版)

残念ながら、[我為人人,人人為我] が、いつごろから党中央のスローガンとして採用されたかは、確認できなかった。

北京大学付属中学の卒業生らしい [欧阳程] (北大附中63—11班) は、「1958—1963年,是国际共产主义大论战的年代,是国际风云变幻的年代;是中国人民告别大跃进、与自然灾害抗争的年代;是全国人民学雷锋,人人为我、我为人人的年代。」と回想している(难忘的五年)。

しかし、大躍進政策の惨澹たる失敗に応ずる形で毛沢東の後に劉少奇国家主席を襲ったのが 1959年4月27日、雷鋒の殉職は 1962年8月15日、毛沢東の「向雷鋒同志学習(雷鋒同志に学ぼう)」は、1963年3月5日で、若干の齟齬がある(ちなみに、所謂 [廬山会議] は、1959年7月/8月である)。どうやら、[我為人人,人人為我] は、大躍進政策の当時、既に使われていたらしい。毛沢東は、このスローガンに反対する立場を取っていたと云う。

      在群己關係上,1958年紅專討論的時候,曾有一個流行的觀點,即「人人為我,我為人人」,並把它看成是「無產階級的信條」14。毛澤東非常不以為然,他說15

    斯大林只談經濟,不談政治,雖然說忘我勞動,其實多作一小時也不行,都不能忘我。人的作用,勞動者的作用不談。如果沒有共產主義的運動,想過渡到共產主義是困難的。「人人為我,我為人人」不妥當,結果都離不開我。有人說馬克思講過的,是馬克思講過的我們可以不宣傳。人人為我,是人人都為我一個人,我為人人,能為幾個人?

    14:〈人人為我,我為人人〉,《人民日報》社論,1958年3月15日。
    15: 《毛澤東思想萬歲》(1969),頁248-49。
    --《二十一世紀》網絡版


政治関連以外のことも書いておこう。

日本語の [生活協同組合] に相当するのは "消費合作社" ("消费合作社") と呼ばれるものであるらしいが、これについて言えば、台湾 [國立勤益技術學院員生消費合作社] のスローガンは [我為人人。人人為我。互助合作。團結進步] である。

また [吴念鲁] と云う人物が亡父 [吴朗西] (吳朗西。作家、翻訳家。巴金と親交があったらしい。また、日本に留学していたことがある由) の想い出を綴った [忆父亲吴朗西] には、[吴朗西] が重慶で [消费合作社] を創設したと云うくだりがあるが、そこでも:

父亲于1939年9月回到重庆沙坪坝。后来,在父亲、巴金、田一文、陈辉等人努力下,终于在重庆民国路开办了文化生活出版社重庆分社,父亲任总经理,巴金任总编辑兼副总经理。
沙坪坝是重庆一个文化区,但是由于交通不便,销售渠道不畅通,使一些投机商人囤积居奇,特别是生活必需品的价格不断上涨,居民生活很不方便。
父亲为了改变这一状况,在他的互助、互爱、互利思想指导下,以"人人为我,我为人人"为服务宗旨,创办了消费合作社。

学校のモットーにも使われていて、香港のキリスト教系私立校 (幼稚園から、日本における高校ぐらいまでの一貫校) [民生書院 (Munsang College)] の校訓は、[人人為我,我為人人] である。

[生命保険] は、中国語では [人壽保險]。

人壽保險是「我為人人,人人為我」的經濟制度,以提供個人或家庭因生、老、疾病、殘廢及死亡所導致的生活不安定,給予確定的經濟生活保障為宗旨。
--壽險保戶手册

高尧 (高堯) と云うサッカー選手(山東魯能泰山隊所属)は、「你的座右铭是什么?」(あなたの座右の銘は?) と聞かれて、「我为人人,人人为我 」と答えている(高尧:我为人人,人人为我)。


ちなまれているのは: "One for all, and all for one" (「一人は万人のために、万人は一人のために」) に就いて

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中国語版 "Amazing Grace" なら

中国語版 "Amazing Grace" なら、"奇異恩典""奇异恩典" で検索すれば、いろいろでてくる。

例えば、私は内容をチェックしていないが、次のようなサイトが見つかったのでリンクを張っておく(歌い出しも引用しておく):

*【古老聖詩】奇異恩典-寂寞≠出軌的理由-新浪部落
奇異恩典,何等甘甜,我罪巳得赦免;前我失喪,今被尋回,瞎眼今得看見。

*蔚藍的水平線 - [歌詞] Amazing grace / 奇異恩典 (附MIDI)
奇異恩典,樂聲何等甜美 拯救了像我這般無助的人

*奇異恩典 Amazing Grace
奇異恩典,何等甘甜,我罪全得赦免;

*Songs 奇異恩典
奇異恩典 何等甘甜 我罪已得赦免

*【奇異恩典】詩集:生命聖詩,185
奇異恩典,何等甘甜,我罪已得赦免;

*[精选诗歌]-圣诗-奇异恩典amazing grace
奇异恩典 何等甘甜 我罪以得赦免

*奇异恩典
奇异恩典, 何等甘甜, 我罪已得赦免!


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[八代集秀逸]中のよみ人知らず歌リンク集

藤原定家撰版の [八代集秀逸] (岩波文庫 [王朝秀歌選] 所収) には、[よみ人知らず]の歌が6首収められている。それぞれに就いてのリンクをまとめた(各歌の前の数字は、[八代集秀逸] 内での番号付け)。

2. 鳴きわたる 雁の涙や 落ちつらむ 物思ふ宿の 萩の上の露 (古今221)

古今和歌集の部屋 巻四 221
時代統合情報システム [古今集 巻四:秋上] [00221]
古今和歌集 [221]
「近代秀歌」翻字データベース [古今巻四221 読人しらず]
秀歌体大略 (千人万首) [秋 32 読人不知 古今]
源氏物語 36 柏木 第五章 夕霧の物語 柏木哀惜 [注釈326: もの思ふ宿は]
中古 よみ人しらず (千人万首付録) [古今221]

本歌取り
  刑部卿頼輔、歌合し侍りけるに、よみて遣はしける
聞く人ぞ涙は落つる帰る雁鳴きて行くなる曙の空
--藤原俊成 [春 新古今] (千人万首) [新古今 59]

なき渡る雲ゐの雁の涙さへ露おく袖の夜半のかたしき
--俊成卿女 [水無瀬恋十五首歌合] 秋恋 [十三番 左 持]



8. 名取川 瀬々の埋れ木 あらはれば いかにせむとか 逢ひ見初めけむ (古今650)

古今和歌集の部屋 巻十三 650
時代統合情報システム [古今集 巻十三:恋三] [00650]
古今和歌集 [650]
近代秀歌 例歌 (千人万首) [恋 61]
秀歌体大略 (千人万首) [恋 94 読人不知 古今]
中古 よみ人しらず (千人万首付録) [古今650]

本歌取り
  攝政太政大臣家歌合によみ侍りける
ありとても逢はぬためしの名取川朽ちだにはてね瀬々の埋木
--寂蓮 [新古今 卷第十二:戀歌二 1118]

なとり川わたればつらし朽ち果つる袖のためしのせぜの埋れ木
--定家朝臣 [水無瀬恋十五首歌合] 河辺恋 [六十一番 右] (「勝」は左「左大臣良経 泊瀬川ゐでこす波の岩の上におのれくだけて人ぞつれなき」)



10. たがみそぎ ゆふつけ鳥か 唐衣 立田の山に をりはへて鳴く (古今995)

古今和歌集の部屋 巻十八 995
時代統合情報システム [古今集 巻十八:雑下] [00995]
古今和歌集 [995]
古今集秀歌選 [0995]
吉川栄治研究室(滋賀大学) [古今集:巻18/雑下/0995/読人不知]
「ユフツケドリ」詠
鳥を詠める和歌 [古今和歌集 十八雑 よみ人しらず]

大和物語 百五十四段
大和の國なりける人のむすめ、いときよらにてありけるを、京よりきたりける男のかいまみて見けるに、いとおかしげなりければ、ぬすみてかき抱きて馬にうちのせて逃げていにけり。いとあさましうおそろしう思ひけり。日暮れて立田山にやどりぬ。草のなかにあふりをときしきて、女を抱きて臥せり。女、恐しと思ふことかぎりなし。わびしと思ひて、男の物いへど、いらへもせで泣きければ、男、
   たがみそぎゆふつけどりか唐衣立田の山におりはえてなく
女、かへし、
   立田川いはねをさしてゆく水の行方もしらぬわがごとやなく
とよみて死にけり。いとあさましうてなむ、男抱きもちて泣きけり。
--歌物語という「語り」~「大和物語」百四十九段~百五十五段 [154段]
--大和物語 [154:ゆふつけ鳥]



11. つつめども 隠れぬものは 夏虫の 身より余れる 思ひなりけり (後撰209)

詞書: 桂の皇女(みこ)の「蛍をとらへて」と言ひ侍りければ、童(わらは)の汗衫(かざみ)の袖につつみて
時代統合情報システム 後撰集 巻四:夏 [00209]
後撰集秀歌選 [巻第四:夏歌 0209]
後撰和歌集卷第四 夏歌 [桂のみこの螢を捕へてといひ侍りければ童のかざみの袖につゝみて]
「近代秀歌」翻字データベース [後撰巻四209 読人しらず]
和漢朗詠集
虫を詠める和歌 [後撰和歌集 四夏]
詠歌一體 藤原爲家 [国文研/後撰和歌集/後撰和歌集巻第四/夏歌 0209]

今物語 四
 ある殿上人ふるき宮ばらへ夜ふくる程に参りて。北のたいのめむだう(馬道)にたゝずみけるに。局におるゝ人の気色あまたしければ。ひきかくれてのぞきけるに。御局のやり水に蛍のおほくすだきけるを見て。さきにたちたる女房の。蛍火みたれとびてとうちながめたるに。つぎなる人。夕殿に蛍とんでとくちずさむ。しりにたちたる人。かくれぬものは夏むしのとはなやかにひとりごちたり。とりどりにやさしくもおもしろくて。此男何となくふしなからんもほいなくて。ねずなきをしいでたりける。さきなる女房。ものおそろしや。蛍にも声のありけるよとて。つやつやさはぎたるけしきなく。うちしづまりたりける。あまりに色ふかくかなしくおぼえけるに。今ひとり。なく虫よりもとこそととりなしたりけり。是もおもひ入たるほどおくゆかしくて。すべてとりどりにやさしかりける。
   後拾おもひにもゆる〔首書〕
音もせてみさほにもゆる蛍こそ鳴虫よりも哀成けれ
蛍火乱飛秋已近。辰星早没夜初長。
夕殿蛍飛思悄然。
後撰 つゝめともかくれぬ物は夏むしの身よリあまれる思ひ成けり
--今物語 第四話
//ゑびすや贅言: なんと艶やかな情景だろう。

参考:
  ほたるをよみ侍りける
音もせで思ひにもゆる蛍こそなく虫よりもあはれなりけれ (後拾遺216)
--源重之 (千人万首) [夏]

蛍火乱れ飛びて 秋已に近し
辰星早く 没(かく)れて 夜初めて長し
蛍火乱飛秋已近。辰星早没夜初長。元
--和漢朗詠集

元稹 [夜坐]
雨滯更愁南瘴毒,月明兼喜北風涼。
古城樓影橫空館,濕地蟲聲繞暗廊。
螢火亂飛秋已近,星辰早沒夜初長。
孩提萬里何時見,狼藉家書滿臥床。
--簫堯『中國詩苑』《全唐詩》卷四百一十五 [卷415_28 《夜坐》元稹]


14. 秋風に さそはれ渡る 雁がねは 物思ふ人の 宿をよかなむ (後撰360)

時代統合情報システム 後撰集 巻七:秋下 [00360]
後撰和歌集・ 巻第七 秋下 [360 題しらず]
後撰和歌集卷第七 秋歌下 [題志らず]
「近代秀歌」翻字データベース [後撰巻七360 読人しらず]
近代秀歌 [後撰和歌集/後撰和歌集巻第七/秋歌下 0360]
近代秀歌 (縦書き表示) [後撰和歌集/後撰和歌集巻第七/秋歌下 0360]
秀歌体大略 (千人万首) [秋 38 読人不知 後撰]
中古 よみ人しらず (千人万首付録) [後撰360]
詠歌大概



24. いかにして しばし忘れむ 命だに あらば逢ふ夜の ありもこそすれ (拾遺646)

時代統合情報システム 拾遺集 巻十一:恋一 [00646]
拾遺和歌集 646
拾遺和歌集卷第十一 戀一
中古 よみ人しらず (千人万首付録) [拾遺646]

清原深養父
いかで猶 しばし忘れん 命だに あらば逢ふ世の ありもこそすれ
--深養父集増補 [60-]

本歌取り
  題しらず
あすしらぬ命をぞ思ふおのづからあらば逢ふよを待つにつけても
--新古今 巻第十二 恋歌二 殷富門院大輔 (新古1145)

  建保五年四月庚申、久恋といへる心をよみ侍ける
こひしなぬ身のをこたりぞとしへぬるあらばあふよのこゝろづよさに
--新勅撰和歌集 巻第十二 恋歌二 権中納言定家 [746]



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