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2007年1月の13件の記事

"Liar, Liar, Pants on Fire" 試訳

記事 [英語での火災放送の文例] (2007年1月18日) "10. Code Red" で触れた「子どもの囃し言葉」は:

Liar, Liar. Pants on Fire. Hanging on a Telephone Wire.

と云う物だ(変異例あり)。

取り敢えず訳すとするなら:

ウソつき。ウソつき。火がケツにつき。電話の線にしがみ付き。

あたりか。

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"One for all, and all for one" (「一人は万人のために、万人は一人のために」) に就いて

記事 [「一人ひとりに、それぞれの必要に応じて。一人ひとりが、その能力に応じて。」と「全員が一人ひとりのために。一人ひとりは全員のために。」] (2007年1月26日) で書いた [三銃士 (ダルタニャン物語 第一部)] ("Les Trois Mousquetaires" 1844年) に現われる "Tous pour un, un pour tous." (「全員が一人のために。一人は全員のために。」) の対応英語形は "One for all, all for one" になる。この変異例としては "One for all, and all for one" や "all for one, one for all" 或いは "All for one, and one for all" がある。日本語の「一人は万人のために、万人は一人のために」も、この系統とみなして良いだろう。

"Voyage en Icarie ([イカリア旅行記] 第3版 1845年)" 表紙における "Tous pour chacun. Chacun pour tous." (全員が一人ひとりのために。一人ひとりは全員のために。) が、どう関わるのかは、未確認。


で、取り敢えず話を日本に限ると 「一人は万人のために、万人は一人のために」(変異例:「みんなが一人のために、一人はみんなのために」)や "One for all, all for one" 等は、様ざまな組織及び個人の pet philosophy になっている:

生活協同組合 (生協)
コープこうべ
全国生協連
大学生協
農業協同組合 (農協)。 ただし「"Each for All, All for Each (一人は万人のために 万人は一人のために)"」を採用している。
JA (農協) 東京中央会
JA 全農
JA 全中
その他の協同組合
全労済
労働組合
動労千葉
自治労群馬県本部
自治労横浜
関西合同労組
全日本郵政労働組合 英文による組織紹介のタイトルが "One for all, all for one"
チーム競技
ラグビー (愛知県「岡崎ラグビースクール」)
サッカー (神戸大学体育会サッカー部)
野球 (松坂大輔)
ソフトボール (茨城県東海村「舟石川ソフトボールスポーツ少年団」)
バレーボール (Vリーグ「トヨタ自動車」チーム)
フットサル (フットサルラボ:脱初級者フットサルブログ)
ラクロス (東京女子体育大学・ラクロス部)
駅伝 (99年北大駅伝)
モダンダンス (大東文化大学モダンダンス部)
チアリーディング (福井県 WENDYS)...
バンドスタイル又はシンガーチームスタイルのタレントの features
H.P.オールスターズ: "Hello! Project" のユニット。「ALL FOR ONE & ONE FOR ALL!」は、その楽曲名。
氣志團ちゃんブログ:ONE FOR ALL.ALL FOR ONE. (2006年4月21日)
学校/課外活動のモットー
聖ドミニコ学園小学校(東京都世田谷区)
山口県立豊北高等学校
岡山県立矢掛高校吹奏楽部
学園祭・運動会のテーマ
西九州大学福祉医療専門学校・佐賀調理製菓専門学校の合同学園祭
沖縄キリスト教学院大学・沖縄キリスト教短期大学 学生会2006キリ学祭
横浜市國學院大學幼児教育専門学校“若葉祭”
文教大学付属中学・高等学校学園祭 (東京都品川区旗の台)
神戸山手女子中学校・神戸山手女子高等学校
啓新高校(福井県)
広島県立加計高等学校
大阪産業大学
横浜市立日限山中学校
舞鶴市立城南中学校
高知県立高知追手前高等学校吾北分校
山口県立南陽工業高等学校体育祭...
成人式の標語
秋田県横手市
政治家の看板文句
豊島区議会議員 池田なおひろ (自由民主党)
衆議院議員 後藤田 正純 (自由民主党)
前・衆議院議員 田中慶秋 (民主党)
山口県下関市議会議員 長ひでたつ (公明党)
千葉県浦安市議会議員 辻田あきら
福井県議会議員 のだ富久 (県民連合)
神奈川県知事 松沢成文
長野県下伊那郡下條村議会議員 宮島きよのぶ
衆議院議員 森喜朗 (自由民主党)
ブログのタイトル
多数。無慮数百あるようだ。
個人の「好きな言葉」/「座右銘」
多数。

なにか、こう目眩いがしてくるね。

保険会社も、しばしば「一人は万人のために、万人は一人のために」を標語にする:

その根拠にしているのは、ドイツ語形の "Einer für Alle, Alle für Einen" のようだ。これは、直接にはドイツ(その後米国に移住)の保険学者 Alfred Manes によるらしいが、それが更に由来するものがあるかどうかは、私には不明。

外国での対応表現の使われ方に就いて調べてみるつもりだったが、別の機会を俟つことにする。

    参考になるかもしれないサイト:
  • One for all, and all for one - Wikipedia: 記事中、"One for all, and all for one" をモットーとする団体として具体的に挙げられているのは "Hells Angels" だけである。
  • Panthéon de Paris - Wikipedia: 2002年11月30日に Alexandre Dumas がパリ・パンテオンに改葬された際に、棺にかけられた drap bleu には "Tous pour Un, Un pour Tous " と記されていたと云う (Alexandre Dumas, samedi 30 novembre 2002)。
  • Rugby School Internet Services: rugby football が始まったとされるイングランドの public school "Rugby School" のサイト。"one for all" や "all for one" に就いて特記している様子は見られない。「学校新聞」である "The Grapevine" 2006年2月号に "This term has been a pretty amazing one for all the badminton squads,..." とあるが、これは「今期は、バドミントンチームの全てが素晴らしい成績を残した」と云うこと。
  • Rugby Football Union: 英国ラグビーフットボール協会のサイト。"one for all" や "all for one" に就いて特記している様子は見られない。
  • RugbyRugby: Latest News: ラグビーフットボールの専門サイト中の記事。"one for all and all for one" と云うスローガンに就いての言及がある。
  • Unus pro omnibus, omnes pro uno - Wikipedia: ラテン語。非公式ながらもスイスの伝統的モットー。
  • Trivia for The Truman Show (1998) によれば、映画 "The Truman Show" (1998年) には、"UNUS PRO OMNIBUS, OMNES PRO UNO" が町のモットーとして登場する。この映画は、1967年のイギリステレビドラマシリーズ "The Prisoner" (「プリズナーNo.6」) を意識している。
  • Solidarität im Verfassungsstaat:「立憲国家における団結」"Einer für Alle, Alle für Einen" や Alfred Manes の話が出てくる。副題: "Grundzüge einer normativen Theorie der Verteilun" は「分配の標準理論の基本的特徴」と言ったところか。
  • 集団主義 - Wikipedia 曰わく: 「One for All , All for One」(1人はみんなのために、みんなは1人のために)というスローガンは、個人主義的な成員に、心理的に集団と一体化しよう、と呼びかける理念・イデオロギーで、1844年にイギリスで生活協同組合運動が発足したときに考案されたもの。これを西欧的集団主義と把握する考え方がある。北朝鮮はこのスローガンを愛用し、全体主義批判に対し、自国は集団主義であると反論する。
  • 朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法: 第5章 [公民の基本権利及び義務] 第63条 朝鮮民主主義人民共和国において公民の権利及び義務は、「1人はみんなのために、みんなは1人のために」という集団主義原則に基づく。
  • Rochdale - Wikipedia: イングランド西北部の都市。協同組合運動 (cooperative) 発祥の地。
  • Rochdale Principles - Wikipedia: 初期協同組合運動の原則。"one for all, all for one." に類する箇条は見当たらない。
  • Statement on the Co-operative Identity - Wikipedia: "International Co-operative Alliance" (ICA 国際協同組合同盟) による協同組合運動宣言。

ついでに書いておくと "one for all, all for one." 及び "one for all, and all for one." に対応するロシア語表現は,それぞれ "Один за всех, все за одного." 及び "Один за всех и все за одного." また、イタリア語形は "Uno per tutti, tutti per uno." 及び "Uno per tutti e tutti per uno."

"Один за всех" "все за одного" が、Сергей Михайлович Эйзенштейн (セルゲイ・エイゼンシュテイン)の 映画 "Броненосец Потёмкин" (「戦艦ポチョムキン」)に出てくるらしいが、未確認(ただし "Battleship Potemkin: Scenario and script by Sergei Eisenstein" 参照)。(このパラグラフへの補足記事 [メモ:映画 [戦艦ポチョムキン] 中の「全員は一人のために 一人は全員のために 」] も参照されたい。)

"One for all, all for one." は、「ユートピア/革命の昂揚」の指標であるのと同時に、「ディストピア/革命の幻滅」隠蔽の指標でもあると言うべきか。

いみじくも、アレクサンドル・デュマ・ペール (Alexandre Dumas) は、このあたりの機微を、アトスとアラミスに「手を差し出して誓え!」と迫られたポルトスが、「ブツブツ口ごもりながらも、周りの勢いに気圧されて」(Vaincu par l'exemple, maugréant tout bas)、ダルタニャンとの四人で「全員が一人のために、一人は全員のために」と唱和したと、書いていることを忘れるべきではないだろう( [ダルタニャン物語 第一部「三銃士」"Les Trois Mousquetaires"] 第9章)。


    最後に、各国語おける問題の標語を改めてまとめておこう(主な変異例がある場合には、それも付ける):
  • フランス語: "Tous pour un, un pour tous."

  • 英語: "One for all, all for one." ("One for all, and all for one." )

  • ドイツ語: "Einer für Alle, Alle für Einen"

  • 日本語: 「一人は万人のために、万人は一人のために。」(「みんなは一人のために、一人はみんなのために。」)

  • イタリア語: "Uno per tutti, tutti per uno." ("Uno per tutti e tutti per uno.")

  • ラテン語: "Unus pro omnibus, omnes pro uno"

  • ロシア語: "Один за всех, все за одного." ("Один за всех и все за одного.")


    補足
  • スペイン語: "uno para todo, todo para uno." ("uno para todo y todo para uno.")

  • オランダ語: "Een voor allen, allen voor een." ("een voor allen en allen voor een.")

  • ポルトガル語: "um para todos, todos para um." ("um para todos e todos para um.")

  • 中国語形: "我為人人,人人為我" らしい。(中国語ウィキペディアのスイスの項 "瑞士" による。) "one" には「我」、"all" には「人人」が当てられているのが興味深い。

  • ハングル: "전체는 하나를 위해, 하나는 전체를 위해" 「チョンチェヌン ハナルル ウィフィェ, ハナヌン チョンチェルル ウィフィェ」か? (ハングル版ウィキペディアのスイスの項 "스위스" による。"전체"「チョンチェ」は「全体」の意、"는"「ヌン」は主題を表わす格助詞、"하나"「ハナ」は数詞「一」、"를"「ルル」は目的格助詞、"위해"「ウィフィェ」は目的を表わす用言「為である」。)


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「一人ひとりに、それぞれの必要に応じて。一人ひとりが、その能力に応じて。」と「全員が一人ひとりのために。一人ひとりは全員のために。」

記事 [メモ: John Lennon "Imagine"] (2007年1月4日) において、

No need for greed or hunger" などマルクスが「ゴータ綱領批判」(Karl Marx - Kritik des Gothaer Programms) で示した共産主義社会における生産と供給との関係のスローガン "Jeder nach seinen Fähigkeiten, jedem nach seinen Bedürfnissen! (一人ひとりが、それぞれの能力に応じて! 一人ひとりに、それぞれの必要に応じて!)" を連想させる(ただし、人間性の理解に就いては若干浅薄ながらも秀逸なこのキャッチコピーは、マルクスの独創ではないらしい)。

と書いたが、これは Étienne Cabet (エチエンヌ・カベー。1788年1月I日-1856年11月9日) が、彼の著作 "Voyage en Icarie ([イカリア旅行記] 初版 1840年)" 第3版(1845年)の表紙に、

A chacun suivant ses besoins. De chacun suivant ses forces.
一人ひとりに、それぞれの必要に応じて。一人ひとりが、その能力に応じて。
("forces" を 「諸力」と訳す向きもあるようだが、これは「能力」と訳す方が良いと思う。)

と掲げているのを踏まえている。

なお "Voyage en Icarie" の表紙には、次の言葉も見られる。

Tous pour chacun. Chacun pour tous.
全員が一人ひとりのために。一人ひとりは全員のために。

これと類似するモットーに "Tous pour un, un pour tous." (「全員が一人のために。一人は全員のために。」)と云うものがある。これは、アレクサンドル・デュマ・ペール (Alexandre Dumas, 1802年7月24日-1870年12月5日) の小説 [三銃士 (ダルタニャン物語 第一部)] ("Les Trois Mousquetaires" 1844年) 第9章末尾近くに登場する。

-Et maintenant, messieurs, dit d'Artagnan sans se donner la peine d'expliquer sa conduite à Porthos, tous pour un, un pour tous, c'est notre devise, n'est-ce pas ?
– Cependant… dit Porthos.
– Étends la main et jure ! » s'écrièrent à la fois Athos et Aramis.
Vaincu par l'exemple, maugréant tout bas, Porthos étendit la main, et les quatre amis répétèrent d'une seule voix la formule dictée par d'Artagnan :
« Tous pour un, un pour tous. »
« C'est bien, que chacun se retire maintenant chez soi, dit d'Artagnan comme s'il n'avait fait autre chose que de commander toute sa vie, et attention, car à partir de ce moment, nous voilà aux prises avec le cardinal. »
--Les Trois Mousquetaires - Chapitre 9 - Wikisource
(文脈をチェックしていないので、心許ないが、一応訳を付けておく。)
ダルタニャンは、ポルトスには自分の振る舞いの訣を敢えて説明せずに、こう言った:「だって諸君、『全員が一人のために、一人は全員のために』と云うのが僕らの合い言葉だったんじゃなかったっけ?」
「しかしなぁ...」とポルトス。
「手を差し出して誓え!」アトスとアラミスとが同時に叫んだ。
ブツブツ口ごもりながらも、他の三人が手を差し出したのに気圧されて、ポルトスも手を差し出した。四人の朋友は、ダルタニャンが定めた「決め科白」を声を揃えて繰り返したのだった:「全員が一人のために、一人は全員のために。」
「これでよしと。各自、一旦自分のところに戻ること。」ダルタニャンは、生まれてこのかた命令ばかりしてきたかのような口振りで言った。「ただし、すぐに出発するぞ。今度は枢機卿との戦いだ。」

日本語版ウィキペディア [(ダルタニャン物語)] によれば「原作でこの言葉が登場するのは、手を重ねて誓いを立てた1度きりで、この合言葉で銃士たちが剣を掲げる場面は登場しない」とのこと( [三銃士たちの合言葉] の項参照)。

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ちなみに: アシモフとリメリック


アシモフ (Isaac Asimov) の [黒後家蜘蛛の会] (創元推理文庫版で全5巻) を読んでいると、彼がリメリック (limerick) 好きだったのだろうと推測されるが、実際にそうだったようで、晩年、自作の物を多数含む "Lecherous Limericks" や "Limericks: Too Gross" と云ったリメリック集を出している(いづれも、私は未見)。

アシモフが、ある人物を主題にしたリメリックを書いて、当人に渡したと云う逸話も、ネットで見られる。

たとえば、アシモフがアーサー・C・クラーク (Arthur C. Clarke) に "Old Arthur C. Clarke of Sri Lanka" で始まるリメリックを送ったと云う話が、"Arthur C Clarke Isaac Asimov Limerick" と云うウェブページに載っている。

ディック・ストッジヒル (Dick Stodghill) と云う退役軍人の作家が作っているウェブページ "Dick Stodghill | A veteran writer's books, magazines and recollections of infantry combat in Normandy" でも、アメリカ探偵作家クラブ (Mystery Writers of America) の会合の席上で1980年に初めて、アシモフに会った際、アシモフがストッジヒル夫人の Jackie に "There was a young woman named Jackie" で始まるリメリックを捧げたと云う出来事が懐かしそうに回想されている。

付け加えるならば、地球外知的生命体探査 (Search for Extra-Terrestrial Intelligence, SETI) 計画の熱心な支持者でありリメリックの愛好家であったアシモフを記念して、The SETI League, Inc は1995年3月から1998年3月まで、リメリックコンテストを開催した(優秀作が公表されている)。

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メモ: John Lennon "Happy Christmas (War Is Over)" 補足 その2


John Lennon の"Happy Christmas (War Is Over)" 歌詞の技法で、更に付け加えておくと、"so" の使い方が面白い。


歌詞自体が、"So this is Christmas" と、"so" で開始しているが、これは「そう云う訣だから (and for this reason; therefore)」を意味する接続詞。あたかも話の途中であるかのように始まって聞き手の注意を引く方法だ。ただ、そのままでは聞き手の「宙ぶらりん感情」 (suspense) が解消されないので、手早く第1スタンザの4行目で "so this is Xmas" を繰り返して、「一年がが終わって、旧年になり、新年が始まろうとしている」と云う文脈が明らかにされる。

第3スタンザ4行目の "so" は、強意の副詞:「それほどまでに (to such a great extent)。非常に (extremely)」。単純な強意ではなく、「それほどまでに (to such a great extent)」として解釈するならば、"The world is so wrong" は、「この世は(あなたも知っているように、それほどひどく)間違っている」と云う意味になる。

第3スタンザ5行目の "so" は、やや微妙だが、 前行の "so" と相俟って、同程度を表わす副詞「匹敵する程度に (to the same extent)」になっていると、私は思う。「この世はひどく間違っている」から「それに負けないくらいに素晴らしいクリスマスを」膚の色を超えて全ての人びと (black, white. yellow or red) にと云うのが、"And so happy Christmas" の含意だろう。

つまり、John Lennon は "Happy Christmas (War Is Over)" の中で "so" を繰り返し使いつつも、その意味/機能をに変化を持たせて、文飾としているのだ。

取り立てて珍しい技法ではないが、John Lennon の手さばきは、稚拙ではない。

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メモ: John Lennon "Happy Christmas (War Is Over)" 補足

たいしたことではないが、[メモ: John Lennon "Happy Christmas (War Is Over)"] (2006年12月22日) で書くつもりでいながら、失念してしまったことを補足する。

それは、"Happy Christmas (War Is Over)" 歌詞の「サビ」の中に入っている "A very Merry Christmas / And a happy New Year" と云う一節のことだ。周知のように、これは Season's Greeting の定型文である。格式通り、不定冠詞を、それも丁寧に2つ使っている。

原詩において、私が「巧い」と一番感心したのが、この点なのだ。

私は、この歌自体が、ちょっと長い Season's Greeting になっていると考えている。

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ロシアの99%カカオ・チョコレート

先日、ロシアの99%カカオ・チョコレートを食べたら意外とおいしかった。「意外と」などと言っては、申しわけないかもしれないが、外国製のチョコレートは期待ハズレのことが多いのだ(私は、いわゆる「99%カカオ・チョコレート」を好むので、「おいしかった」は、ある程度割り引いて受けとってもらった方が良いかもしれない)。

ВЕРНОСТЬ КАЧЕСТВУ (Vernost Kachestvu) と云う会社の製品だが、商品名は、私には分からない。箱の表に "Шесть плиток горького шоколада" と書いてあるが、これはビターチョコレート6枚入りと云うことだから、商品名ではあるまい。箱の後ろににも説明が印刷されているが、輸入業者(エイム)がしっかり貼り付けたラベルに隠れて見えなかった(剥がすのは面倒くさい)。もっとも、エイムが付けている品名が「ロシアンダーク99」と云う一般的なものだから、やはり取り立てた商品名はないと思しい。

社名の ВЕРНОСТЬ КАЧЕСТВУ は「品質への忠誠」ぐらい意味だろうか。ロゴは、槍を持った鞍上の騎士で、楯に ВК とある。

ネットを探してみたら、すでに記事が相当数ある。写真も示されているので、そちらを見た方が早かろう:

皆さんが公表している写真を見ると、パッケージには2種類あることがわかる。私が買ったのは最後に (99% КАКАО) と書かれているものだ。そして、内容を拝見すると、ごく少数を除いて、圧倒的に評判が芳しくない。私は結構旨いと思うのだが...

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英語での火災放送の文例

英語での火災放送の文例を探して、このサイトに来た方がいるようなので、幾つか探してみた。以下で間に合えばよいのだが...

しかし、その前に内容をまとめておこう。

1. 変異はあるのだが、基本は "Code Red" に、火災の発生(可能性の段階を含む)場所の情報を付け加えると云うものだ。前置詞は特に必要ではない。そして、通常これを3回繰り返すらしい。
2. "Code Red" を火災以外の場合(例えば「学校敷地に不審者がした」とか)にも使用するような施設では、"Code Red" の後に "Fire" の一語を続けて言うことがあるらしい。
3. 鎮火等で、危険がなくなった事を伝える際には、"Code Red + 該当箇所" を言ってから、"All Clear." と言う。
4. 「火災訓練」ではないことを明示したい場合は "This is not a drill." を最後に付け加える。更には、"This is not a drill. Repeat: This is not a drill." とダメ押しすることもあるようだ。「これは訓練ではない。繰り返す。これは訓練ではない。」と云うヤツだ。

と云う訣で以下の通り:

1. Telecommunications Emergency Procedures and Contingency Plans
Immediately upon receiving a call from University Police informing the operator of a fire, and/or upon hearing the alarm bells, the operator will announce the following over the overhead page system (the message is repeated three times).
  "Code red nursing station________room _________."
  "Code red nursing station________room _________."
  "Code red nursing station________room _________."
If the location is other than at a nursing station, give the proper location of the fire by announcing (the message is repeated three times):
  "Code red location_______."
  "Code red location_______."
  "Code red location_______."
All subsequent overhead announcements for fire emergencies will be Originated from the hospital administration office.

2. BOSTON UNIVERSITY MEDICAL CAMPUS Safety and Disaster Manual "Safety and Disaster Manual"
Page Operators will send a group page upon instruction from the Control Center. Page script example: "CODE RED L BUILDING 6 TH FLOOR". (Operator Services maintains a current Code Red Page list). Page Operators will also send pages to clear fire alarms upon BFD approval. Example: "CODE RED L6 ALL CLEAR".

3. Thomas Jefferson University - Department of Environmental Health and Safety: Fire Manual
The Fire Alarm
A CODE RED announced over the paging system means "Fire or Fire Drill." The telephone operator will repeat this three times, followed each time by the location of the alarm. For example, if there is a fire on the 7th floor Thompson, it will be announced:
  "CODE RED, 7th floor, Thompson."
  "CODE RED, 7th floor, Thompson."
  "CODE RED, 7th floor, Thompson."
When the alarm is over, the telephone operator will announce:
  "CODE RED, 7th floor, Thompson, All Clear."

4. MEDICAL UNIVERSITY OF SOUTH CAROLINA (MUSC) "FIRE /LIFE SAFETY FIRE REACTION PLAN" Revised
A message will be broadcast over the fire alarm public address system, "Code Red", and announce the location of the fire (e.g., 6th Floor).

5. Duke University Safety Manual: "OCCUPATIONAL AND ENVIRONMENTAL SAFETY OFFICE SITE SPECIFIC FIRE PLAN" Part II General Statement
"ATTENTION PLEASE - CODE RED HAS BEEN REPORTED IN YOUR ZONE. IF RELOCATION IS NEEDED, MOVE ALL PERSONS TO YOUR DESIGNATED EVACUATION ZONE".
  本稿の話題とは外れるが、"EVACUATION ZONE" が「退避勧告/命令対象範囲」ではなく、いわゆる「避難地域」として使われている例であることに注意。([災害(地震)対策文書中の用語「避難所/避難場所」の英訳としての "evacuation area" に就いて] 参照)。

6. ITASCA RESOURCE CENTER EMERGENCY PROCEDURES
The Front Desk will sound the Building-wide Alarm and announce "CODE RED, Fire, Location if known, Please evacuate the building" over the building-wide intercom three times.

7. Hospital Emergencies
Samples of Hospital Emergency Codes (these terms may differ for different hospitals)
All of these codes are usually announced over the hospital intercom, along with the exact location (floor and/or unit) where the emergency is taking place (for example, "Code Red, Unit 5700"). When the emergency no longer exists, an "All Clear" announcement is made and repeated 3 times over the intercom. ("Code Red 5700 all clear. Code Red 5700 all clear. Code Red 5700 all clear.").

8. Carolinas HealthCare System: Safety and Security Module for Temporary Staff, Students, and Volunteers
"Attention please, Code RED," [this is repeated three times, along with the location of the fire. Chimes and strobe lights will also be activated where located.

9. BOISE VA MEDICAL CENTER: ORIENTATION
Fire alarm pull boxes are located by all exits and at nurses' stations on the medical wards. The fire alarm is a chime and strobe light that only activates in the building where the alarm is activated. There will be an overhead page for "Code Red Building ___," which will be repeated three times.

10. Code Red
Code Red!...Code Red!...Dick Cheney's pants are on fire and the entire White House is in danger of being totally engulfed and consumed!
  この最後の例は、火災放送の文例がパロディ的に使われている例。Dick Cheney は、現アメリカ合衆国副大統領。字面から言えば「尻に火がついた」と云うところだが、含意は別で "Dick Cheney's pants are on fire" は "Liar, Liar, Pants On Fire" と云う、子どもの囃し言葉を踏まえている。


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Limerick 二題 ("There was a young lady from Niger." と "There once was a lady named Lynn")

英国政府の資金提供を得て、British Broadcasting Corporation (BBC) と British Council とが共同制作している "teaching English" と云うサイトがある(BBC の担当は BBC World Service らしい)。その中の [Home > Think > Pronunciation > English sentence stress] で見つけた limerick 2つを、拙訳というか、翻訳のようなものと共に紹介する ("Stress timing is most noticeable in patterned language such as poetry and limericks. 文強勢は、詩やリメリックのようなパターン化した文で最も良く識別できる" と云う前振りがある) :

There was a young lady from Niger.
Who smiled as she rode on a tiger.
They returned from the ride
With the lady inside,
And the smile on the face of the tiger.
--Anonymous
ニジェールから来たお嬢さん
虎に跨がりニッコリ笑ってお散歩に
散歩が終わって戻ってきたら
虎の胃袋にはお嬢さん
虎は満腹ニッコリ笑ってご満悦

There once was a lady named Lynn
Who was so uncommonly thin,
that when she essayed
to drink lemonade,
she slipped through the straw and fell in!
--Anonymous
リンと云う娘(こ)があったげな
痩せもやせたり細さもほそし
ある日ある時、飲もうとしたは
レモネード。滑り込んだは
ストローの中。スルリ、ボチャンでサア大変

--"English sentence stress" BY Lynn Gallacher, British Council, Spain

両方とも相応に有名らしいが、特に「虎とお嬢さん」の方は、人口に膾炙しているらしく、時には寓意を持って引用されている。

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旅馴れてニタリと笑う

伊丹十三のエッセイは、今でも憶えている箇所が幾つもある。例えば、[ヨーロッパ退屈日記] の冒頭近く(文春文庫版 pp.15-18)にある [ハリーの話] なぞは、その内の一つだ。全文引用しないと無意味なジョークなのだが、[ヨーロッパ退屈日記] と同質の流れの中でのみ精彩を放つ文章なので、ここでは引用すまい。そうしても「長すぎる」だけだろう。しかも「本当はもっともっと長くて、ハリーが話し終るのに四十分もかかりました。」なのだそうだ。(実は、この注釈が「ネタ振り」になっている。そして、直後の締め括りのセンテンスが狙いすましたような効果をあげるのだ。)

次のようなところもある。まず、「去年の春、最初にパリの真中に立った時...非常な驚きに捕われたものでした」と書き出して、その所以を説明してから、こう続ける:

さて、今、八ヵ月ぶりにパリに帰って来ると、もうパリに入るのも五、六回目になることゆえ、さしたる感興もない。わたくしの友人に金山寿一という詩人がおりまして、その人の落首にいう。

  旅馴れて
  ニタリと笑う
  俺の心の
  ドン・ジョバンニ

まことにいい歌です。人生のさまざまな瞬間にふと口をついて出る、憶えておいていい歌だと思うのですが、わたくしの心境がこうであった。
--文春文庫版 pp.29-30

金山寿一と云う方に就いては、私は存じあげていない。

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ある逸話:「殿下におかせられましては、すでに第二の段階にお進みになられました」

伊丹十三の [ヨーロッパ退屈日記] に、[この道二十年] と云う一段がある(私が持っているのは 1976年刊 [文春文庫] 版では pp.227-230)。英語が得意であることを自負していた著者が、R と L とを発音し分けられるようになったのは、勉強を初めてから二十年ほど経ったからだったと云うのが、タイトルの由来なんだが、更に話は、発音より更に難しいのが、R と L とを聞き分けることだと続く。そして、伊丹十三はこう書く:

 断っておくが、わたくしは、耳は悪い方ではない。音楽的才能も一応はそなわっている。つまり、わたくしは楽器なぞ弾いたりもするのですよ。
 たとえば、ギターでいえば、『アルハンブラの想い出』『レゲンダ』『アラブ綺想曲』といった立派な演奏会用曲目を、一応澱みなく弾くことができるのです。
 あるいは、ヴァイオリンでいえば、かつてソロモンという名人が、教え子である、ジョージ三世に、「予の、進歩の状態はいかがなものであろうか」と問われたときに答えた言葉がある。
「およそ、ヴァイオリンを奏するものに三段階あり。全くヴァイオリンを弾くことのできぬもの。非常に拙なくヴァイオリンを奏するもの。非常に巧みにヴァイオリンを奏するもの、の三種である。殿下におかせられましては、すでに第二の段階にお進みになられました。」
 というのであって、わたくしも、その第二の段階に属するものである。

つまり、それなりに「耳のいいわたくしにして、なお」、R と L とは聞き分けられないのだから、

 ここにおいて、諸君は、今や全く、英語の発音の難しさを諒解されたことと信ずるから、次に日本人の陥りやすい、通弊というものを列記する。

と引きとって、次段の [母音] へとつなげていく訣だ。

このジョージ三世の逸話の出典がかねがね気になっていて、念晴らしとして今回ネットで google 検索してみたのだ。その結果得られたのが:

Johann Peter Salomon once reluctantly gave violin lessons to George III. "Your Majesty, fiddlers may be divided into three classes," Salomon remarked. "The first, those who cannot play at all; the second, those who play badly; the third, those who play well. You, sire, have already attained the second class."
[Sources: W. Gates, Anecdotes of the Great Musicians]
--Anecdote - George III - Quick Study?

出典とされている "Anecdotes of the Great Musicians" (1897年) は、リプリント版らしいものが出版されているが、オリジナル、リプリントとも私は未見。

"Johann Peter Salomon" は、現在の日本では「ヨハン・ペーター・ザーロモン」と呼ばれている人物だろう。

ソロモンとザーロモンとの違いは、この際どうでもよかろう。それ以外でも伊丹版と Gates 版とは、微妙に食い違っているが、これも気にしなければ気にならない程度のことだ。だいたい、伊丹十三が、この逸話を "Anecdotes of the Great Musicians" で知ったとは限らないし、また、逸話の常で、聞いた/読んだものを伊丹十三が「潤色」したことも十分ありうる。

ただ、面白いのは、同系統の逸話が他にあって、[伊丹版] は、それらを組み合わせた格好になっていることだ。

The music for the dance was supplied by a young Englishman. He played with an air, as if before the gallery. His performance reminded me of the story of the Italian who taught George III. the violin, and who, on being asked by the king as to his progress, replied:
"Please your Majesty, there are three classes of players:
1. Those who cannot play at all.
2. Those who play badly.
3. Those who play well.
Your Majesty is just rising into the second class."
--"Janey Canuck In The West" by EMILY FERGUSON (1910)


John Keats, the second of four children, like Chaucer and Spenser, was a Londoner, but, unlike them, he was certainly not of gentle blood. Lord Houghton, who seems to have had a kindly wish to create him gentleman by brevet, says that he was "born in the upper ranks of the middle class." This shows a commendable tenderness for the nerves of English society, and reminds one of Northcote's story of the violin-player who, wishing to compliment his pupil, George III., divided all fiddlers into three classes,--those who could not play at all, those who played very badly, and those who played very well,--assuring his Majesty that he had made such commendable progress as to have already reached the second rank.
--"AMONG MY BOOKS: Second Series" by JAMES RUSSELL LOWELL (1876)

強いて言えば、簡にして要を得る伊丹版が最も優れるとすべきか。

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甘味料「アセスルファムカリウム」に就いて

このサイトに、検索ワード「アセスルファムカリウム」で訪問される方のために、英文版 wikipedia の "Acesulfame potassium" の項から、最低限の必要には対応できるだろうと思われる部分を訳して、日本語版 [ウィキペディア] の [アセスルファムカリウム] として放りこんでおいた。有志により、おいおい内容の追加・補正がなされて充実していくと期待している。

現状では実際の役に立つかどうか自信はないが、このサイトを見るよりは展望が開ける可能性があるのではないかと思う。

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メモ: John Lennon "Imagine"

"Happy Christmas (War Is Over)" に就いて書いた (2006年12月22日) ついでに、"Imagine" (1971年。同一タイトルのアルバムに収録) に就いても少し書いておく。

原歌詞に就いては、以下のサイトなどを参照:

この歌詞は、その「政治性」とか「反宗教性」を云云されることがあるようだ。しかし、私の見るところでは、この詩の内容は、反教会(勿論、キリスト教の「教会」)的かもしれないが、少なくとも部分的には明確に宗教的だ。更に端的に言えば、新約聖書におけるイエスの宣教とパラレルな部分もある(そうでない部分もあるが)。

共産主義的言辞を理由とする「政治性」に就いても、この歌詞が描いているのは、(「類型的な」と云う表現が意地悪になってしまうなら、言い換えると、いみじくもタイトルが示すように) image としての宗教的コミューンであって、政治的現実(変革への具体的プロセス)に対する深刻な認識は見られない(注意: そのことの善し悪しを言っているのではない)。

ここでの John Lennon は、無邪気な教祖のように振る舞っている。もっとも、だからと言って、Lennon の意図は別として、彼の歌が政治的アジテーションの役割を持ちえないかと云うと、それは別の話なのだが...(付言しておくと、"Power to the People" などの一見アジテーション・ソングに見えるようなものより、"Imagine" の方が、人びとを動かす力は強いかもしれない)。


以下 "Song Lyrics Domain - Discover the songs you love..." 所収の "John Lennon Imagine lyrics" に従って論じる。

第1スタンザの "all the peple living for today" は、新約聖書中の「だから、あすのことを思い煩ってはならない。あすのことは、あす思い煩えばよい。その日の苦労は、その日だけで十分である」(マタイ6:34。[フランシスコ会訳聖書研究所]版。以下の新約聖書からの引用に就いても同様) を思い起こさせる。あたかもこれに応えるように、本来の意味を現代人に伝えるように訳すと云う目標を持って出版されたと云う "New Living Translation/NLT" 版の英文聖書 (1996年) では、[マタイ6:34] は "So don't worry about tomorrow, for tomorrow will bring its own worries. Today's trouble is enough for today." と訳されている。

むしろ、第1スタンザは、[マタイ6:34] を踏まえないと、理解が難しいかもしれない。人が平安に生きていくには、「天国」に生まれ変われたいと思い煩ったり、「地獄」に落ちたくないと思い煩ったりすべきではない、と云うのが、このスタンザの含意だろう。

ちなみに、島崎藤村は [千曲川旅情の歌] で、「昨日またかくてありけり 今日もまたかくてありなむ この命なにを齷齪 明日のみを思ひわづらふ」と詠っているが、藤村の自己憐憫と Lennon の自己肯定との方向性の異なり方が面白い。

第2スタンザでは、教会や国家が必然的に伴う思想信条、つまり「大義」を拒絶している。勿論、そうした拒絶の思想信条も、「大義」ではないにしろ、一定の思想信条になってしまう。しかし、それをカテゴライズするのは、あまり意味がないと思う。「小義」だから当然かもしれないが、「John Lennon の思想信条」は、本人以外にとっては(そして多分、本人にとっても)かなり漠然としており、「Lennon 教」とでも言うしかないのではないか。

「サビ」の第3スタンザと第5スタンザは、謂わば、「Lennon 教」への勧誘だな。

第4スタンザ第1行の "possessions" は、個々の「財産」と云うより、「財産と云う考え方」つまり「私的所有制」を指す。たしかに、このスタンザの内容は共産主義的だ。"No need for greed or hunger" などマルクスが「ゴータ綱領批判」(Karl Marx - Kritik des Gothaer Programms) で示した共産主義社会における生産と供給との関係のスローガン "Jeder nach seinen Fähigkeiten, jedem nach seinen Bedürfnissen! (一人ひとりが、それぞれの能力に応じて! 一人ひとりに、それぞれの必要に応じて!)" を連想させる(ただし、人間性の理解に就いては若干浅薄ながらも秀逸なこのキャッチコピーは、マルクスの独創ではないらしい)。しかし、Lennon のボンヤリと描いている「共産主義」は「科学的」なものではなく、この歌詞の言葉尻を踏まえるなら「夢想的」と言えるものだ(「科学的社会主義」が破綻した現在では、その分、「夢」の重みが歴史の前景に迫り出してきているが)。

たいして意味のある措定ではないが、あるいは、Lennon の「思想」は、communism より、anarchism や dadaism に近いかもしれない。Lennon は、どうすれば「大人達」の顰蹙を買うか良く知っていて、そして旨く顰蹙を買うと、それで逆に安心していたようなところがある。

第4スタンザに言う財産の否定も、マタイ第19章後半の[金持ちの青年の逸話] (「もし完全になりたいならば、帰って、あなたの持ち物を売り、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を蓄えることになる。それから、わたしについて来なさい。」マタイ19:21) や、イエスが空腹になった群集にパンや魚を頒ち与えて満腹させたと云う逸話(マタイ第14章、マタイ第15章及び並行箇所)を思い起こさせる。

なお、第4スタンザ第4行末の "man" は、第2行末の "can" と韻を踏ませているのだが、冠詞なしに使われていて、「男」ではなく「人類一般」を表わしている。

第4スタンザ後半は、「世界は一家、人類はみな兄弟」と云ったところだ。それは、「史的弁証法」とは対極の発想であることに注意。更にこれは、「社会変革」のためには「闘争」が必要だと明確に意識していたナザレのイエスの考え方とも異なっている。イエスはこう言う:「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためであると思うな。わたしが来たのは、平和をもたらすためではなく、剣を投げ込むためである。わたしが来たのは、人をその父と、娘をその母と、嫁をそのしゅうとめと仲たがいさせるためである。家の者は、主人の敵となる。」([マタイ10:34-10:36])。またマルコ第11章等に記されている、イエスの神殿境内市場への襲撃事件も参照。こうした反逆的行動と「アジテーション」ゆえに、イエスは処刑されることになるのだが、口実とされたのは、彼が「冒涜の言葉」を吐いたため、つまり「反宗教的」だと云うことだった。

第1, 第2, 及び第5スタンザは、それぞれ、最初の行で「天国(死後を含む将来への懸念)」、「国家(大義)」、「財産(私的所有制)」が無い世界をイメージするよう聴衆に呼びかけている。第2行では、イメージすることの叱咤又は挑発。第3行及び第4行は、第1行の敷衍。そして、第5行と第6行とで、そうした世界が素晴らしいものであることを約束する。全スタンザで第2行と第4行とが脚韻。

歌詞の大雑把な意味を書いておく。

考えてごらん

考えてごらん。「天国なんてものは無いんだ」って。
やってみれば簡単だよ。
足の下には地獄はなくって
頭の上には空があるばかり。
考えてごらん。「人びとみんなが
一日をその一日のためだけに生きている」姿を。

考えてごらん。「国家なんてものは無いんだ」って。
難しいことじゃないんだよ。
殺すこともないし、命を捨てなくてもいいんだ。
宗教なんかもなくってさ。
考えてごらん。「人びとみんなが
心穏やかに暮らしている」姿を。

夢物語を信じている奴って、君らは言うかもしれないな。
だけれど、こう云うのって僕一人だけじゃないんだよ。
君らがいつか、僕らの仲間になって
世界が一つになって欲しいんだ。

考えてごらん。「財産なんてものは無いんだ」って。
君らにはできるかな。
余計に欲しがることも、足りなくて困ることもないんだ。
人間がみな仲よく暮らしてさ。
考えてごらん。「人びとみんなが
世界全体を分かち合っている」姿を。

夢物語を信じている奴って、君らは言うかもしれないな。
だけれど、こう云うのって僕一人だけじゃないんだよ。
君らがいつか、僕らの仲間になって
世界が一つになって欲しいんだ。


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