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元好問「玄都觀桃花」。あるいは、老生、煩悶しながらバーミヤンで麻婆豆腐を食べること:「非関水雨能留客」か「非関小雨能留客」か?

[すかいらーく]系列で[バーミヤン]と云う中華料理店チェーンがある。私が住んでいる所の近くにも、その一店があって、たまに食事をしにいくのだが、そこの壁に懸かっている書幅が僅かながら気になって、行く度に「一体、どう云う意味だろう」と思っていた。ただし、店を出てしまうとスグに忘れてしまう。その程度の気になり方なのだ。

しかし、度重なると(額は、結構長期間懸かっている)、家にいても何かの拍子に思い出すことがある。「非関水雨能留客」と云う一句である。これの意味が分からない。勿論、余所で読んだ記憶も、聞いた記憶もない。「[墨場必携]に載っています」と言われたら、「そうでしたか」とでも答えるしかない文言なのだが、「だから何なんだ」とも思ってしまいそうだ。まぁ、「能留客」の三字は、客商売のおマジナイとして解らんでもないんだが、それだけなのか?

念晴らしのため、ネット上を検索してみた(google)。しかし、そのママでは(つまり、ダブルクオートで囲んで "非関水雨能留客" で調べると)何もヒットしないのだな。日本語サイトでは探すのを諦めて、「関」を「關」として "非關水雨能留客" に代えても、「关」として "非关水雨能留客" に代えても結果は同じ(この記事の原稿作成時での話)。

その後、いつも通りの「ジタバタ」が始まった。そして、ここで「ゆくりなくも」と付け加えるべきだろうが(あまりにジタバタしすぎたので、どのような経緯でたどり着いたか、今となっては再確認できないのだ)、とにかく、次のようなものを見つけた。

玄都觀桃花

前度劉郎複阮郎
玄都觀裏醉紅芳。
非關小雨能留客
自是桃花要洗妝。
人世難逢開口笑
老夫聊發少年狂。
一杯盡吸東風了
明日新詩滿晉陽。
--dsuan 发布于 2006-10-20 08:25

この七言律詩は、[北方博客]と云うブログサーヴィス(私は今回初めてブログを中国語で[博客]と表記するのを知った)中の[读书山] (読書山) と云うブログにあった。作者は [元好問] (元好问)。ちなみに「読書山」は、詩人が隠棲処に付けた名らしい。

ついでに、簡体字の形のものも引用しておこう。

元好问《玄都观桃花》诗:

前度刘郎复阮郎,
玄都观里醉红芳。
非关小雨能留客,
自是桃花要洗妆。
人世难逢开笑口,
老夫聊发少年狂。
一杯尽吸东风了,
明日新诗满晋阳。
--从玄都观看唐代道教的兴盛变迁
第5句の「开笑口」は、出典のママ。

私のように無教養なものには荷が重いが、話を進めねばならないので、とにかく仮の読み下しを付けておく。

玄都觀桃花

前度の劉郎、また阮郎
玄都觀のなか、紅芳に醉ふ。
小雨に關せず、能く客を留む
おのづから是れ、桃花洗妝せむとす。
人世、開口して笑ふに逢ふは難し
老夫、聊か發す少年の狂。
一杯吸ひ盡せば東風たちぬ
明日新詩晉陽に滿たむ。

表題の[玄都觀(玄都观)]は、唐の都長安にあった[観](道教施設)。第1句「前度劉郎」は中唐の詩人、劉禹錫(刘禹锡)を指す。「前度劉郎」は、失敗した政治革新に連なったため貶せられて朗州司馬になっていた彼が、居ること九年で長安に戻り、[玄都觀]を訪れた時に詠んだ詩「遊玄都觀: 紫陌紅塵拂面來,無人不道看花回。玄都觀裏桃千樹,儘是劉郎去後栽」と、この詩が原因で彼が忌避され、再度の左遷で連州刺史の生活を十数年した後に、長安に呼び戻され、再び[玄都觀]に遊んで詠んだ「再遊玄都觀: 百畝庭中半是苔,桃花淨盡菜花開。種桃道士歸何處, 前度劉郎今又來」と詠じたことを踏まえる。「複阮郎」は、「前度劉郎今又來」が、実は[太平広記]に収められた[幽明録]逸文[劉晨阮肇入天台]([リップ・ヴァン・ウィンクル-浦島太郎]型の道教説話)を下敷きにしていることによる。詩人の姓が[元]であることも忘れてはなるまい。しかし、こうしたことは別の機会に書くことにしよう。

と云う訣で、問題は第3句の「非關小雨能留客」だ。「小雨」であって「水雨」ではない。面食らって、おもわず、バーミヤンに行ってしまった。問題の書幅の傍に座って、麻婆豆腐を食べながら、しげしげと見てみたが、やはり「水雨」と読める。隷書だから、嗜みのない私でも見間違いはしてないだろうとは思う。

「小雨」の方のなら、意味は「小雨が降ってはいるが(桃花が素晴らしいので)気にならない。とても立ち去ろうとは思えない」とでもなるのだろう(「立ち去れないのは雨が降っているせい、つまり、『遣らずの雨』ではない」とは取らない)。

では「水雨」ではどうか? 「ビミョー」とでも言うしかない。「水雨」は、中国語として熟した言葉であるのかと云う点を措くとして(詩には新奇な表現を熟させると云う機能があるから、この点をあげつらうことには意味がない)、「小雨」の方が情景として美しい。それに、その後の「自是桃花要洗妝」は、「(雨は)もともと、それで桃花が顔を洗おうとしているのだ」ぐらいの意味だろう。ここは細かな雨であるべきではないか。

しかし、では「水雨」はあり得ないかと言うと、何とも言えない。そもそも、「非関水雨能留客」が、[玄都觀桃花]から採ったもの([小雨]から[水雨]への変化が意図的であるかどうかは別として)であるかどうかも分からない。元好問の詩とは無関係であることもありうる訣だ。ただ、そうだとすると、初めの感想に帰ってしまう: 「一体、どう云う意味だろう」。

結局振り出しに戻ってしまったので、元好問関連のリンクだけでもまとめておこう。

1. 金史巻一百二十六[列伝第六十四文藝下] (父[元徳明]と合わせた伝記がある)。繁体字版(金史卷一百二十六 列傳第六十四 文藝下)もある。
2. 元好問 (新華網山西頻道 2005-07-20 來源)
3. 《元遺山集》一(金)元好問 撰
4. 《元遺山集》二(金)元好問 撰
5. 《元遺山集》三(金)元好問 撰
6. 《元遺山集・遺山先生新樂府》四(金)元好問 撰
7. 《元遺山集・續夷堅志》完(金)元好問 撰
8. 读书山
9. 元好問
10.逸海書城--現代文學--魯迅--雜文集--且介亭雜文--儒術

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