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2006年12月の16件の記事

ちなみに: バーミヤンの中国語表記は「巴米揚」

アクセス解析を覗いてみて思い出したのだが、「バーミヤン」の中国語表記を調べようとしていて忘れていたのだった。[元好問「玄都觀桃花」。あるいは、老生、煩悶しながらバーミヤンで麻婆豆腐を食べること] (2006年12月4日) を書いた時に「煩悶しながらバーミヤンで麻婆豆腐を食べる」を、中国表記にするとどうなるか、ちょっと考えてみたのだ。

勿論、レストランチェーンの [バーミヤン] が、自らの中国語表記をどのようにしているか、と云うようなことは余り考えずに、スグに大仏遺跡がある(アフガニスタンの)のバーミヤンの中国語表記を調べ出したのだが、日本語ウィキペディアで [バーミヤン] の項目を出して([バーミヤーン] に転送される)、そこから中文ウィキペディア (维基百科) の対応項目に飛べば [巴米扬省] のページが現われる。これだと、簡体字だけどね。そうしたことは、必要に応じて適宜直せば良いだけの話で...

と云う訣で、「巴米揚」でした。

「巴米楊」や「巴米陽」と云う言い方もあるらしい。

簡体字なら、それぞれ「巴米扬」「巴米杨」「巴米阳」になる。

ただ、上記中文ウィキペディアの [巴米扬省] の記載によると、中国地名委員会が定める標準名は「巴米揚(巴米扬)」。木偏の方の「巴米楊(巴米杨)」は、「誤写」だと云う。「巴米陽」に就いては、調査がつかなかった。



ちなまれているのは: 元好問「玄都觀桃花」。あるいは、老生、煩悶しながらバーミヤンで麻婆豆腐を食べること

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Joyce Kilmer の詩 "Trees" 改訳

[Joyce Kilmer の詩 "Trees"] (2006年10月 5日)に掲載した拙訳を訳し直したものを書いておく。

まず、原詩:

Trees

I THINK that I shall never see
A poem lovely as a tree.

A tree whose hungry mouth is prest
Against the sweet earth's flowing breast;

A tree that looks at God all day,
And lifts her leafy arms to pray;

A tree that may in summer wear
A nest of robins in her hair;

Upon whose bosom snow has lain;
Who intimately lives with rain.

Poems are made by fools like me,
But only God can make a tree.

改訳版は以下の通り:

樹々

思へらく、我見む詩(うた)の愛おしさ
ひともとの樹に如かざらむ

地母の美(うま)し溢るる胸乳へと
渇ける唇を壓し当てる樹

終日(ひねもす)神を見つめつつ
葉繁き腕を捧げ祈る樹

夏には一腹の駒鳥もて
髪を化粧(けはひ)する樹

その懐には雪が置き
自ら親しく雨となづむ

詩(うた)を作るは、我ら愚か者
樹を創りなすこそ、神の業



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メモ: John Lennon "Happy Christmas (War Is Over)"

時節柄で、クリスマス・ソングの話をする。John Lennon (ジョン・レノン) の "Happy Christmas (War Is Over)" (1971年) と云う曲のことだ(注:共同作詞家として Yoko Ono がクレジットされていることがある。それは、John 本人の意向でもある)。

原詞は、適宜ネットを検索してもらうとスグに出てくるが、例えば、次のようなところが参考になるだろう:

普通、この曲の日本語タイトルは「ハッピークリスマス(戦争は終わった)」である。これは、当然 "Happy Christmas (War Is Over)" の「翻訳」と考えられる。しかし、私は、"War Is Over" を「戦争は終わった」とすることに、違和感を憶える。

たしかに、英文ジャーナリズムのヘッドラインで "War Is Over" とあったら、「戦争は終わった」と訳して間違いない、と、私も思う。しかし、それらと、Lennon の歌とではコンテキストが違う。

私が見た範囲では、英文ジャーナリズムが "War Is Over" と書くコンテキストは、全て 「(戦争は終わった)そして、我々が勝った」と云うものだ(その後、ネット上をやや詳しく調べたところ、この記述は不正確であることが判った。最近の「イラク戦争」のコンテキストでは、「我々(米国)は負けた」と云うものが目立つ。まぁ、その勝ち負けへのこだわり方を見ると、標榜する政治的立場の相違を通底して「非關正義、とにかくに勝ちたいんだろう」と言いたくなるんだが... それはともかく、改めて英語ジャーナリズムに "War Is Over" に就いてまとめたものを発表したいとは思っている--2006-12-27)。しかし、Lennon の "Happy Xmas" のコンテキストは違う。ここで、安易に John Lennon の「反戦思想」に就いて云云する気はないが、この詩のコンテキスト自体は、明白だ。それは、「あらゆる戦争(当時の時代背景からいえば、具体的には --1964年トンキン湾事件、1975年サイゴン陥落の-- ベトナム戦争)に反対する」と云うものだ。ここにいる Lennon の立場からすれば、少しも戦争は終わっていない。

原詞の最終部にあるように、"War Is Over" と云うフレーズは、"if you want it" と相俟って、「あなたが望みさえすれば、戦争はすぐにでも終わる」と云う、確実に起こる筈の近い未来への言及、又は、それが「普遍的真理」である旨の主張だろう(どうしても、「戦争は終わった」と云う表現を使おうとするなら、「『あなたが望みさえすれば』すぐにでも『戦争は終わった』と云う状態が出現する」と云う、やや廻りくどい心理的操作が必要になる)。

"War is over, if you want it" と同じ構造を有する文例をネット上で探した所、次のようなものが見つかった。既に済んだことではなく、if 節の内容の時点以降に起こることに就いて "is over" と言っていることに注意:

*15. When offering a draw to your opponent, you should do so after moving but before you start your opponent's clock. The game is over if both players agree to a draw.
(米国チェス連盟公式ルール中のトーナメント様式及びルール)
15.対戦相手に引き分けの提案をする際には、プレーヤーは自分の駒を動かした後で、且つ、相手側の計時を始める前に提案しなければならない。両方のプレイヤーが引き分けに同意した場合にゲームは終了する。
--Tournament Format & Rules (The U.S. Chess Federation's Official Rules of Chess, 5th Edition)

*`The crisis is over, if you give hotels time to grow'
(これは、ベトナム・ハノイのホテル業界に就いて報じた2001年8月1日付経済記事の、見出し。)
ホテル業界は、成長のための時間的余裕が与えられるなら、危機を脱するだろう。
--Industry & Business Article - Research, News, Information, Contacts, Divisions, Subsidiaries, Business Associations

*The game is over if you cannot clear enough blocks to prevent the entire field from filling up with these blocks.
(Pokemon Puzzle League/Nintendo 64 と云うゲームの遊び方の解説の一節)
ブロックを消し切れずに画面全体がブロックで一杯になってしまったらゲームオーバー。
--Half.com / Video Games / Pokemon Puzzle League

実を言うと、「ハッピークリスマス(戦争は終わった)」に就いてオノ・ヨーコがどう考えているか、知りたい気が僅かながらある。

ついでに、歌詞の内容も、大雑把ながら書いておく。

クリスマスおめでとう(戦争は終わるんだ)

(クリスマスおめでとう、キョウコ。
クリスマスおめでとう、ジュリアン)

そう云う訣でクリスマス
君らの今年はどうだっただろう
また一年が終わってしまい
新しい年が始まるよ。
そう云う訳でクリスマス
楽しくやって欲しいんだ
親しい人、いとおしい人
お年寄りでも若くっても。

とても楽しいクリスマスと
幸せな新年とがくるように
みんなで、一緒に願おうよ
なにも脅えずにすむような

そう云う訣でクリスマス
負け組にも勝ち組にも
お金持ちでも貧乏でも。
この世はすごく変だから
その分、楽しいクリスマスを
白人にも黒人にも
アジア系にもネイチブにも。
喧嘩なんか止めようよ。

とても楽しいクリスマスと
幸せな新年とがくるように
みんなで、一緒に願おうよ
なにも脅えずにすむような

そう云う訣でクリスマス
僕らの今年はどうだっただろう
また一年が終わってしまい
新しい年が始まるよ。
そう云う訳でクリスマス
楽しくやって欲しいんだ
親しい人、いとおしい人
お年寄りでも若くっても。

とても楽しいクリスマスと
幸せな新年とがくるように
みんなで、一緒に願おうよ
なにも脅えずにすむような
戦争は終わるんだ。君が望みさえするならば。
戦争は終わるんだ。たった今すぐに。

クリスマスおめでとう

処理に困ったのが、第1スタンザのと第5スタンザの対照だった。並行していながら、相違点があるので、必要ならば、それを並行かつ対照するように表現し分けしなければならない。それも2点あって、一つは "And what have you done" と "And what have we done" と、もう一つは、"I hope you have fun" と "We hope you have fun" とだ。

"And what have you done" と "And what have we done" とは、それぞれ「君らの今年はどうだっただろう」と「僕らの今年はどうだっただろう」としたが、自分でも不満を持っている。更に、"I hope you have fun" と "We hope you have fun" とについては、旨い便法が見つからないので、取り敢えず、両方とも「楽しくやって欲しいんだ」としてある。

ごく瑣末なことだが、もう一つ書いておこう。「親しい人、いとおしい人」に対応する英文が、"The near and the dear one" となっているサイトが多い。しかし、英語としては "one" よりは --ones-- だろう。

問題は、John Lennon の歌声を聞くと、そこらへんが怪しいことだ。2回でてくる "The near and the dear..." で、1回目は、 "ones" と歌っているようにも聞こえるが、ハッキリしない。そして2回めは、"one" としか、私の耳には聞こえない。ただ、付言すれば、John 自筆の歌詞原稿では "ones" と書いてあるのが読める。また、Happy Christmas (War Is Over) - John Lennon and Yoko Ono (Lyrics and Chords) では、1回目を "ones" 2回目を "one" としている。

"For weak and for strong" は「負け組にも勝ち組にも」としてある。それなりに適切だろうと信じているが、しかし、こう云うところから表現が「古びていく」ことは承知している。

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メモ:「ゐのあか」又は「あかゐ」の句を含む例文

ネット上で収集したもの。未校合。

紀貫之/古今404
志賀の山ごえにて、いしゐのもとにて物いひける人の別れけるをりによめる
    むすぶてのしづくににごる山の井のあかでも人にわかれぬるかな
--千人万首

後深草院少将内侍/続古今1352
    ちぎりあらばまたもむすばん山の井のあかでわかれし影なわすれそ
--千人万首

前大僧正慈円/新古今集第3巻258
五十首哥たてまつりし時
    むすぶてにかげみだれゆく山の井のあかでも月のかたぶきにける
--バージニア大学・ピッツバーグ大学日本語テキスト・イニシアティヴ

西行/山家集1038:
    岩にせくあか井の水のわりなきは心すめともやどる月かな
--西行法師全歌集

石清水若宮歌合/00064
    ちりつもる桜にうつむ山の井のあかてもくるる花の色かな
--時代統合情報システム

宗長句集 老耳 天理本/00095
    ほとときす-やまのゐのあかぬ-はつねかな
--時代統合情報システム

宝治百首(宝治御百首)/02270
[詞書]豊明節会
    をみ衣すれる山ゐのあかひものとけし昔や今夜なるらん
--時代統合情報システム

寛文年間百韻[おいせしと]/075-076
    つきふけて-けたものかよふ-いはつたひ
    くむそてたえし-あかゐすさまし
--時代統合情報システム

頓阿勝負付歌合/00051
    さゆるよは-あかゐのみつの-あさこほり-われよりさきに-はやむすひけり
--時代統合情報システム

参考:二月堂縁起絵巻
実忠和尚二七ヶ日夜の行法の間、来臨影向の諸神一万三千七百余座、その名をしるして神名帳を定(さだめ)しに、若狭国(わかさのくに)に遠敷(おにう)明神と云う神います。遠敷河を領して魚を取りて遅参す。神、是をなげきいたみて、其をこたりに、道場のほとりに香水を出して奉るべきよしを、懇(ねんごろに)に和尚にしめし給ひしかば、黒白二の鵜(う)、にはかに岩の中より飛出(とびいで)て、かたはらの樹にゐる。その二の跡より、いみじくたぐひなき甘泉わき出(いで)たり。石をたたみて閼伽井とす。
--東大寺二月堂修二会お水取り


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ちなみに: "Nous n'irons plus au bois" と云うタイトルの推理小説がある

と言っても、英語で書かれたものの仏訳 (ISBN 2-7382-1695-1 La Bibliographie nationale française Livres - Cumulatif 2003 - 803. fictions (page 39/200) 参照) なんだが。

原題は "All Around the Town" (1992). 著者は Mary Higgins Clark. 和訳もあって、タイトルは [オルゴールの鳴る部屋で](新潮文庫)。いづれも、私は未見。

ちなまれているのは: フランスの古童謡 "Nous n'irons plus au bois"

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タップ密度と嵩密度(かさ密度)に就いて

このサイトのアクセス解析を見ていると、[タップ密度] をキーワードにして検索した結果訪問される方が多い。併せて、[嵩密度 (かさ密度)] が条件に入っている場合もある。

この二つの言葉が出てくる記事は [米国特許6599897(セロクエル)の要約・発明の背景・独立クレームの翻訳(再編集版)] (及び、その元の記事である [米国特許6599897(セロクエル)の要約・発明の背景・独立クレーム]) だ。何度も使われているが、その含意が幾らかでも書かれているのは、一箇所だけである。それを以下に引用しておく。

Bulk density is the density of a free flowing powder. Tap density is the density of the powder after it has been vibrated or tapped on a surface several times. Bulk density is determined by pouring a volume of 100 ml of powder into a graduated cylinder and measuring the weight of the powder. Tap density is determined by placing the same cylinder, containing the 100 ml of powder used to measure the bulk density, on a piece of equipment that raises and drops the cylinder 200 times (the amplitude of the raising and lowering in this standard test is 0.5 inches). The new volume of the powder is measured and since the weight of the powder is already known the tap density can be calculated.
嵩(かさ)密度とは、自由に流動する粉体としての密度である。タップ密度とは、振動を受けるか、又は、表面を何回か叩かれた後の粉体密度である。嵩密度は、体積 100 ml の粉体を、メスシリンダー内に注いでから粉体の重量を測定することで決定する。タップ密度を決定するには、嵩密度を測定するために用いて100 ml の粉体を収容しているメスシリンダーそのものを、一定の機器に装着して、200回持ち上げ・落下させる(持ち上げ・落下の幅は、本発明が用いた標準的試験では 0.5 インチである)。粉体の体積を改めて測定するなら、粉体重量は既知であるから、タップ密度が計算できる。

このサイトを訪問される大多数の方には、言わずもがなの知識だろうが、老婆心ながら補足しておくと、日本においては、[第十五改正日本薬局方] (厚生労働省「日本薬局方」ホームページ改正の概要の説明がある) 中に「粉体物性測定法: かさ密度及びタップ密度測定法」がある筈である(私は未見)。

残念ながら、上記厚生労働省の「日本薬局方」に関するウェブサイトでは [第十五改正日本薬局方] そのものは公表されていない。ただし、[第十四改正日本薬局方第一追補] 及び [第十四改正日本薬局方第二追補] は公表されており、それを見ることである程度の内容は把握できるのではないかと思う。

2007-11-07 (水)補正:
現在 [厚生労働省:「日本薬局方」ホームページ] において [第十五改正日本薬局方] の pdf ファイルが公開されている。その中の [3. 粉体物性測定法 3.01 かさ密度及びタップ密度測定法] (pdf ファイルとしての pp.113-114) には、日本薬局方が定める嵩密度(かさ密度)とタップ密度の測定法が説明されており、その内容は、上記特許中の記載と相応に異なっている。参照して頂きたい。

未見である以上、内容について私は云々するわけにはいかないが、[第十五改正日本薬局方 (大型本) 日本公定書協会(編集) 出版社:じほう (2006/05)] 及び [第十五改正日本薬局方 (大型本) 日本公定書協会(編集) 出版社:廣川書店 (2006/07)] と云うものもある。[3. 粉体物性測定法 3.01 かさ密度及びタップ密度測定法] は [第十五改正日本薬局方] の pp.61-62 に記載されている。一応情報として記しておく。

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フランスの古童謡 "Nous n'irons plus au bois"

記事 [nouse: フランス語 "net et vif" に就いて] (2006年12月14日) で触れたが、Claude Debussy (クロード・ドビュッシー) のピアノ曲 Jardins sous la pluie (雨の庭) は、それ以前に作曲された『いやな天気だから「もう森には行かない」の諸相(Quelques aspects de “Nous n'iron plus au bois” parce qu'il fait un temps insupportable)』を改作したものだと云うことだ。

この "Nous n'iron plus au bois" はフランスの古童謡で、18世紀に作られたとされている。作詞者はポンパドゥール夫人 (Madame de Pompadour 1721年12月29日-1764年4月15日) とする説がある由("Pour tout l'or des mots" ISBN 2221082559 Claude Gagnière, Ed. Robert Laffont, coll. Bouquins, p. 186 に書いてあるらしいが、私は未確認 )。楽曲は、[天使ミサ (la messe De Angelis)] の[キリエ mid] ([misa o yomu -- Kyrie] も参照)の冒頭部から取られているとのこと。

歌詞は、以下の通り:

Nous n'irons plus au bois

Nous n'irons plus au bois, les lauriers sont coupés.
La belle que voilà, la lairons-nous danser?
Entrez dans la danse, voyez comm' on danse,
Sautez, dansez, embrassez qui vous voudrez.

La belle que voilà, la lairons-nous danser?
Mais les lauriers du bois, les lairons-nous faner?
Entrez dans la danse, voyez comm' on danse,
Sautez, dansez, embrassez qui vous voudrez.

Mais les lauriers du bois, les lairons-nous faner?
Non, chacune, à son tour, ira les ramasser.
Entrez dans la danse, voyez comm' on danse,
Sautez, dansez, embrassez qui vous voudrez.

Non, chacune, à son tour, ira les ramasser.
Si la cigale y dort, ne faut pas la blesser.
Entrez dans la danse, voyez comm' on danse,
Sautez, dansez, embrassez qui vous voudrez.

Si la cigale y dort, ne faut pas la blesser.
Le chant du rossignol la viendra réveiller.
Entrez dans la danse, voyez comm' on danse,
Sautez, dansez, embrassez qui vous voudrez.

Le chant du rossignol la viendra réveiller.
Et aussi la fauvette, avec son doux gosier.
Entrez dans la danse, voyez comm' on danse,
Sautez, dansez, embrassez qui vous voudrez.

Et aussi la fauvette, avec son doux gosier.
Et Jeanne, la bergère, avec son blanc panier.
Entrez dans la danse, voyez comm' on danse,
Sautez, dansez, embrassez qui vous voudrez.

Et Jeanne, la bergère, avec son blanc panier,
Allant cueillir la fraise et la fleur d'églantier.
Entrez dans la danse, voyez comm' on danse,
Sautez, dansez, embrassez qui vous voudrez.

Allant cueillir la fraise et la fleur d'églantier.
Cigale, ma cigale, allons, il faut chanter!
Entrez dans la danse, voyez comm' on danse,
Sautez, dansez, embrassez qui vous voudrez.

Cigale, ma cigale, allons, il faut chanter,
Car les lauriers du bois ont déjà repoussés.
Entrez dans la danse, voyez comm' on danse,
Sautez, dansez, embrassez qui vous voudrez.
--Nous n'irons plus au bois midip mp3 音源あり。
--Nous n'irons plus au bois バックグラウンド演奏あり。最終聯の "sont" は --ont-- の誤りか?
--Nous n'irons plus au bois 短縮版。
--Chanson Francaise. Chanson pour enfant 最後に第1聯が繰り返される。楽譜へのリンクあり。
--jecris.com, site pour enfants : Chansons - Nous n'irons plus au bois 変異例。
--Le lutin : Nous n'irons plus au bois midi 音源あり。カラオケ風の歌詞表示が付いている(文字化けするが)。
--Nous n'irons plus au bois chansons pour danser - paroles de chansons pour enfants 短縮形。最後の方で "sont" は --ont-- か?
--Nous n'irons plus au bois 変異例。最後の方で "sont" は --ont-- か?
--Nous n'irons plus au bois 短縮形。最後の方で "sont" は --ont-- か?
--Nous n'irons plus au bois短縮形。最後の方で "sont" は --ont-- か?
--Nous n'irons plus au bois 2種類の midi 音源あり。楽譜表示あり。最後の方で "sont" は --ont-- か?
--Nous n'irons plus au bois 変異例。"Mais les lauriers du bois, les laisserons-nous couper?" と云う言い方に注意。

子供たちは、輪になってこの童謡を唄い、それぞれの聯で、輪の中に子供が一人入る。次の聯では別の子供と代わると云うことをしていって、順々に子供全員が輪の中に入るまで行なう、と云うようにして遊ぶのだそうな。

やはり、一応、私の翻訳(のようなもの)を付けておく。第3聯第2行に "chacune" とあるから、「建前上」参加者は少女/幼女だろう。そこで「女の子」の口調で訳すよう努めた。一笑せられたい。

もう森へは、私たち行きません

ローリエの樹、刈り込みました。もう森へは、私たち行きません
可愛いこの娘に、踊ってもらぉ
お入んなさい。ご覧なさい。
跳んで、踊って、お気に入りにはキスしなさい。

可愛いこの娘に、踊ってもらぉ
けれど、森のローリエしおれませんか?
お入んなさい。ご覧なさい。
跳んで、踊って、好きな相手にキスなさい。

けれど、森のローリエしおれませんか?
それはダメだわ、順番で行って集めましょ。
お入んなさい。ご覧なさい。
跳んで、踊って、好きな相手にキスなさい。

それはダメだわ、順番で行って集めましょ。
もしもセミが寝ていたら、ケガをさせてはいけません
お入んなさい。ご覧なさい。
跳んで、踊って、好きな相手にキスなさい。

もしもセミが寝ていたら、ケガをさせてはいけません
サヨナキドリの歌声が、聞こえて、「お目覚」になるでしょう
お入んなさい。ご覧なさい。
跳んで、踊って、好きな相手にキスなさい。

サヨナキドリの歌声が、聞こえて、「お目覚」になるでしょう
優しい声のウグイスも、一緒にやってくるでしょう
お入んなさい。ご覧なさい。
跳んで、踊って、好きな相手にキスなさい。

優しい声のウグイスも、一緒にやってくるでしょう
白いカゴ持ったジャンヌは羊飼い
お入んなさい。ご覧なさい。
跳んで、踊って、好きな相手にキスなさい。

白いカゴ持ったジャンヌは羊飼い
イチゴと野バラを摘みに行くとこ
お入んなさい。ご覧なさい。
跳んで、踊って、好きな相手にキスなさい。

イチゴと野バラを摘みに行くとこ
セミさん、セミさん、さぁ、唄わなきゃ
お入んなさい。ご覧なさい。
跳んで、踊って、好きな相手にキスなさい。

セミさん、セミさん、さぁ、唄わなきゃ
森のローリエ、また芽をふいた
お入んなさい。ご覧なさい。
跳んで、踊って、好きな相手にキスなさい。

なお、[映像 (音楽) - Wikipedia/最終更新 09:52, 2006年11月25日] において、『ドビュッシーには全作品中合計4曲「もう森へは行かない、嫌な天気だから」というフランスの童謡に基づく曲がある。』と書かれているが、私が調べた範囲では、童謡 "Nous n'iron plus au bois" のヴァリアント中には、「嫌な天気だから」を思わせる語句は見いだせなかった。あるいは、「嫌な天気だから」は、ドビュッシーの理由かもしれない(つまり、「嫌な天気だから」だから、外出せずに "Nous n'iron plus au bois" で触発される曲を作ろうとでもいうような)。

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『"net et vif" の "vif" は「快活に」と訳すべきか』に就いて補足

記事 [nouse: フランス語 "net et vif" に就いて] (2006年12月14日) で、Claude Debussy (クロード・ドビュッシー) のピアノ曲 Jardins sous la pluie (雨の庭) における曲想指定 "net et vif" の "vif" は、「快活に」とは訳しづらい旨の事を書きましたが、翻って考えてみるに、「快活」になりづらい曲だから、あえて、「快活に」演奏するよう注意を喚起した可能性があることに気がつきました。

後知恵になってしまいますが、補足しておきます(音楽史上、どのような判断がなされているかは、私の全く承知しないところです)。

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ちなみに:フランス語 "net et vif" をイタリア語で言うと

Claude Debussy (クロード・ドビュッシー 1862年8月22日-1918年3月25日)の頃、曲想の指定でフランス語を使うのは普通だったのかしらん。もっとも、今のことだって知りはしないな、私は。

曲想指定というと、「アンダンテ・カンタービレ・マ・ノン・トロッポ (andante cantabile ma non troppo)」しか思いつかない不調法者は、フランス語の曲想指定があることに、取り敢えず驚いたのだった。

でも、これってイタリア語で言うと、どうなるのだろう。やはり "netto e vivace" だろうかな。

と云う訣で、"netto e vivace" で google 検索してみたら、その結果は、(本稿作成時)6件あって、そのうちの5件はワインの色の形容に用いられ、残りの1件はウィスキーの味(「後味」?)の形容だった...

うーむ。現代 --とわざわざ付けるべきかどうか分からないが-- イタリアでは "vivace" はともかく、"netto" は音楽用語として使わないらしい。

ここで、フランス語の方でも、"net et vif" がワインの味の形容に使われている例があったのを思い出して、改めて調べてみたら、ネット上で10件ほど見つかった。ひょっとすると、どちらかの方が他方から「輸入した表現」と云うこともありうる。訳すとしたら、ともに「雑味がないのに生き生きとしている」ぐらいだろうか。キャッチコピー風に言うと、「スッキリ・イキイキ」。

ちなまれているのは: フランス語 "net et vif" に就いて

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フランス語 "net et vif" に就いて

このサイト (nouse) のアクセス解析を見ていたら、[フランス語 net et vif] と云う検索フレーズで、来られた方がいらっしゃる。net, et, vif の3語は、一語一語としては、どれも極めて初歩的なフランス語だが、フレーズとして特別の意味があるかどうか、全く想像がつかなかった。大修館の [新スタンダード仏和辞典] にも、それらしいものは載っていない。うーむ。

ついネットで調べてしまった。フレーズとしてダブルクオートが付いた "net et vif" で google 検索してみると、(数え方にもよるが) 150 件ぐらいのサイトがヒットするのだが、多くは Claude Debussy (クロード・ドビュッシー) のピアノ曲集 Estampes (版画) 中の3曲目 Jardins sous la pluie (雨の庭) に付随する形で見いだされる。

さらに "Jardins sous la pluie" を避けて検索しても、40件ほどヒットするが、その中には、綴り間違い (日本のサイト Estampes: III. Jadins Sous La Pluie. Net et vif で間違えているのはともかく、フランス・アマゾンのサイト Estampes: Jardin Sous La Pluire (Net Et Vif) で間違えているのを見るのは、少し残念。フランスのアマゾンに引きずられてか、ドイツのアマゾンも間違えているし...) やロシア語形 Сады под дождем (Net Et Vif) (Эстампы) もあるので、"Jardins sous la pluie" の割合は、見かけより大きい。

つまり、"net et vif" は、取り敢えずは、ドビュッシーがピアノ曲 [雨の庭] に付けた、曲想指定と云うことになる。定訳があるかもしれないが、あえてここで翻訳するとなると、「鮮明かつ素ばやく」とか「鮮明かつ快活に」ぐらいだろうか。

ただ、ネット上にあった midi 音源で "Jardins sous la pluie" を聴いてみたが、窓越しに庭に落ちている雨脚を恨めしげに眺めている情景が浮かんでくるから、私としては「快活」とは言いにくい。それどころか、速めの演奏では、驟雨に降り籠められた感じで、軽い圧迫感すらある(最後になって、雨は小振りになり、空が明るくなる印象なんだが)。

これに関連して書いておくと、ウィキペディアの [映像 (音楽)] の項によれば、この曲は『いやな天気だから「もう森には行かない」の諸相(Quelques aspects de “Nous n'iron plus au bois” parce qu'il fait un temps insupportable)』を改作したものだと云う。なるほどね。

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"Amazing Grace" 歌詞「翻訳のようなもの」

"Amazing Grace" (midi) と云う歌は、しばしば耳にするので、少し気になっていた。しかし、聞こえてくるのは大抵同じ部分だ。歌詞全体がどのようなものなのか、少し調べてみると:

Amazing Grace

Amazing Grace! How sweet the sound
That saved a wretch like me!
I once was lost, but now I'm found,
Was blind, but now I see.

'Twas grace that taught my heart to fear,
And grace my fears relieved;
How precious did that grace appear,
The hour I first believed!

Through many dangers, toils and snares,
I have already come;
'Tis grace has brought me safe thus far,
And grace will lead me home.

The Lord has promised good to me,
His word my hope secures;
He will my Shield and Portion be,
As long as life endures.

Yes, when this flesh and heart shall fail,
And mortal life shall cease;
I shall possess, within the veil,
A life of joy and peace.

The earth shall soon dissolve like snow,
The sun forbear to shine;
But God, Who called me here below,
Will be forever mine.

When we've been there ten thousand years,
Bright shining as the sun,
We've no less days to sing God's praise
Than when we'd first begun.
--アメイジンググレイス - Wikipedia

"grace" と云う単語は、最初の3聯にのみ登場することに注意。この3聯の出来が一番良いように、私には思われる。

終わりの方の3聯は、自分の死後のことを歌っている点で、初めの4聨と異なっている。「神」に対する視線も、若干変化しているようだ。

特に、最終聯は、それ以外の聯と比べて、感じが随分違うので、戸惑った。

英文版 wikipedia の "Amazing Grace" の項によれば、この最終聯は John Newton (ジョン・ニュートン 1725–1807) が作ったものではなく、Harriet Beecher Stowe ハリエット・ビーチャー・ストウ) の "Uncle Tom's Cabin (アンクル・トムの小屋)" に出てくるものだそうだ(第38章)が、そういったことが関係しているのかもしれない。

一応、私なりの翻訳(のようなもの)を付けておく。

アメイジング・グレイス(奇しき恩寵)

「奇しき恩寵(くしきみめぐみ)!」 妙なる響きよ。
卑しき吾をも救ひたまへり。
吾、人の世に迷へど、神、吾を見出だせり。
我が眼、光を失へど、神、光を与へたり。

我が心、恩寵によりこそ、怖れを知りけれ
心より、怖れを払ひしも、恩寵なり。
尊き時ぞ、恩寵の顕はれし時は
我が信仰の起りし時なれば。

険しきも、苦しみも、迷ひの種も多かりき
まなかを辿りて、吾ここに至りたる。
恩寵に従ひきたる我が身はつつがなし。
帰りなむ、いざ。恩寵の導きあり。

主は善きことを、吾に約したまへり。
主の言葉あり、我が望み揺るぎなし。
主こそ、我が守り、我が運命
我が生命の続く限りは。

よしや、我が身と心は滅ぶべし
死すべき生命、已まずには措かねど
とばりの内にてぞ、吾は
悦びと安らぎに日日を暮さむ。

大地も雪の如くに溶け去らむ
天日も輝く光を失はむ
されど、天より吾を召されし神
終ることなく、我が身にあり

吾、彼処に生きて万世の後
日輪の如く輝く時も
神を讃へて日日歌はむ
歌ひ初めにし頃に劣らず

関連記事:
1.nouse: ポルトガル語版の「アメイジング・グレイス」

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ちなみに:「前度劉郎 (前度刘郎)」は現代中国語としても使われいてる

「前度劉郎」に就いて説明している日本語サイトで google 検索に引っ掛かるのは、実質的に「四字熟語: 前度劉郎(ぜんどりゅうろう)」だけのようで、日本語リテラシの中に十分に入っているとは見えない。しかし、中国語としてはシッカリと現代に生きている。

1.北京师范大学出版社 基础教育教材网“前度刘郎今又来”
[北京师范大学出版社] (参照: 北京師範大学 - Wikipedia) による「基礎教育教材」用の語句解説中の「前度刘郎今又来」の項。
2.前度刘郎今又来——重返纽约
写真が何枚か掲載されている。曰わく:
[2006/10/15 11:24 | by blind]
纽约没有桃园,但是有秋色。
去年的十月底,我在纽约拍到了迄今我所见过的最美秋色。
今年来早了半个月,那就北上吧。不一样的地方,相似的风景。
ニューヨークには桃の庭園はないが、それでも秋の景観と云うものはある。
昨年の10月末、私はニューヨークで今まで見てきたうちで最も美しい秋景色の写真を撮った。
今年は半月程早かったので、北に行ったのだった。場所は違うが景色は似ている。
3.法国:前度刘郎今又来
2004年6月の雑誌からの引用らしい。「法国」とはフランスのこと。記事は 2004年6月12日-7月4日に行なわれた [サッカー欧州選手権2004 (ポルトガル大会)] の話題。"2002 FIFA World Cup Korea/Japan" において惨敗したフランス代表の今回の目標は、ただ一つ「冠军」(優勝) である、と云う内容。
ちなみに、その結果は「前回王者フランスは結果こそベスト8でまずまずと言えるかもしれないが、その内容は王者フランスにふさわしいものではなく特に準々決勝のギリシャ戦ではギリシャの規律と集中力はあるゆる場面でフランスを凌駕していたのである。--ウィキペディア [サッカー欧州選手権2004: 強豪国の低迷]

4.前度刘郎今又来?

中国雲南州の砂糖市場関連のサイト。 2006年9月12日の記事。(「本周(今週)」と云う書き方をしているが、9月の第2週のことだろうと思う) 木曜まで下落してきた砂糖相場が金曜日に反発したが・・・、と云うような話らしい。

ちなみのちなみに書いておくと、(やや旧い資料だが) [独立行政法人農畜産業振興機構]の[海外レポート/中国の砂糖産業の概要について 2004年5月] によれば「近年、中国では砂糖の生産量が急速に増加しているが、その多くは甘しゃ糖の生産増によるものである。特に新興産地の広西自治区と雲南省の伸びが大きい。」


5.前度刘郎今又来 “温州炒铺团”重返上海滩

上海関連のサイトでの2006年09月11日の記事。古来商才に長けるとされている「温州人」(温州は中国浙江省の都市) の「炒铺团」が再び上海にやってきている...と云うことなのだが、私には「炒铺团」が既に分からない。ただし、おそらく「投機グループ」の意か、と、ネットを探した所、次のようなものが見つかった。
大紀元時報-日本: 中国不動産市場のバブル化 2005/05/24
新华网News 日本語サイト: 不動産投機行為、隠れバブルを (日付がないが2004年4月らしい)


ちなまれているのは: 元好問「玄都觀桃花」。あるいは、老生、煩悶しながらバーミヤンで麻婆豆腐を食べること

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ちなみに:「非關貓狗」と云う中国語表現がある

「寵物 (宠物/pet)」愛好者のブログで見かけたのだが、「非關貓狗」と云う中国語表現もあるようだ。「犬猫以外に就いて」ぐらいの意味か。例えば、[新浪部落]と云うブログサービス内の[非關貓狗]を参照。ただし、そこにはイヌとネコの写真が多数掲載されていて、訣が解らない。

もっとも、[TOP寵物網]と云う BBS のトップページに、「寵愛狗狗話題區: 有關狗狗的各種討論話題」と「寵愛貓咪話題區: 有關貓咪的各種討論話題」とあった後で、[其他寵物話題區: 非關貓狗,您家的各種寵物都可來討論」と並んでいるから、「犬猫以外」で間違いないだろう(大きくはないが、「犬猫だけと云うことに限らず」になる可能性があるとは思うが)。

現代中国語では "blog" を「部落」と表記することもあるのだな(「博客」と書くことがあるのは、下記記事中で記した通り)。

ちなまれているのは: 元好問「玄都觀桃花」。あるいは、老生、煩悶しながらバーミヤンで麻婆豆腐を食べること

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ちなみに:小説(映画)「運命ではなく」の中国語タイトルは「非關命運」

2002年度ノーベル文学賞(参考:スエーデン・アカデミーによる著作紹介)を受賞したハンガリーの作家 Imre Kertész (イムレ・ケルテース)が「みずからのナチス強制収容所体験をもとに描き出した自伝的小説」"Sorstalanság" (ISBN 9631502929) の邦題は「運命ではなく」。これは2005年に映画化もされていて、英語版のタイトルは "Fateless," 日本語版は、やはり「運命ではなく」。そして中国語タイトルは「非關命運」。

小説の邦訳は、国書刊行会からやはり「運命ではなく」(ISBN 4336045208) のタイトルで出版されている。

ちなまれているのは: 元好問「玄都觀桃花」。あるいは、老生、煩悶しながらバーミヤンで麻婆豆腐を食べること

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ちなみに:テレビドラマ「アンフェア」の中国語タイトルは「非關正義」

CX のドラマ「アンフェア」の中国語タイトルは「非關正義」。

次を参照:
1. 日本のテレビドラマを紹介している(介紹日本電視劇內容)中国語サイト[日本偶像劇場]中の[非關正義=アンフェア UNFAIR/]。これには簡体字版の[非关正义]もある。

ちなまれているのは: 元好問「玄都觀桃花」。あるいは、老生、煩悶しながらバーミヤンで麻婆豆腐を食べること

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元好問「玄都觀桃花」。あるいは、老生、煩悶しながらバーミヤンで麻婆豆腐を食べること:「非関水雨能留客」か「非関小雨能留客」か?

[すかいらーく]系列で[バーミヤン]と云う中華料理店チェーンがある。私が住んでいる所の近くにも、その一店があって、たまに食事をしにいくのだが、そこの壁に懸かっている書幅が僅かながら気になって、行く度に「一体、どう云う意味だろう」と思っていた。ただし、店を出てしまうとスグに忘れてしまう。その程度の気になり方なのだ。

しかし、度重なると(額は、結構長期間懸かっている)、家にいても何かの拍子に思い出すことがある。「非関水雨能留客」と云う一句である。これの意味が分からない。勿論、余所で読んだ記憶も、聞いた記憶もない。「[墨場必携]に載っています」と言われたら、「そうでしたか」とでも答えるしかない文言なのだが、「だから何なんだ」とも思ってしまいそうだ。まぁ、「能留客」の三字は、客商売のおマジナイとして解らんでもないんだが、それだけなのか?

念晴らしのため、ネット上を検索してみた(google)。しかし、そのママでは(つまり、ダブルクオートで囲んで "非関水雨能留客" で調べると)何もヒットしないのだな。日本語サイトでは探すのを諦めて、「関」を「關」として "非關水雨能留客" に代えても、「关」として "非关水雨能留客" に代えても結果は同じ(この記事の原稿作成時での話)。

その後、いつも通りの「ジタバタ」が始まった。そして、ここで「ゆくりなくも」と付け加えるべきだろうが(あまりにジタバタしすぎたので、どのような経緯でたどり着いたか、今となっては再確認できないのだ)、とにかく、次のようなものを見つけた。

玄都觀桃花

前度劉郎複阮郎
玄都觀裏醉紅芳。
非關小雨能留客
自是桃花要洗妝。
人世難逢開口笑
老夫聊發少年狂。
一杯盡吸東風了
明日新詩滿晉陽。
--dsuan 发布于 2006-10-20 08:25

この七言律詩は、[北方博客]と云うブログサーヴィス(私は今回初めてブログを中国語で[博客]と表記するのを知った)中の[读书山] (読書山) と云うブログにあった。作者は [元好問] (元好问)。ちなみに「読書山」は、詩人が隠棲処に付けた名らしい。

ついでに、簡体字の形のものも引用しておこう。

元好问《玄都观桃花》诗:

前度刘郎复阮郎,
玄都观里醉红芳。
非关小雨能留客,
自是桃花要洗妆。
人世难逢开笑口,
老夫聊发少年狂。
一杯尽吸东风了,
明日新诗满晋阳。
--从玄都观看唐代道教的兴盛变迁
第5句の「开笑口」は、出典のママ。

私のように無教養なものには荷が重いが、話を進めねばならないので、とにかく仮の読み下しを付けておく。

玄都觀桃花

前度の劉郎、また阮郎
玄都觀のなか、紅芳に醉ふ。
小雨に關せず、能く客を留む
おのづから是れ、桃花洗妝せむとす。
人世、開口して笑ふに逢ふは難し
老夫、聊か發す少年の狂。
一杯吸ひ盡せば東風たちぬ
明日新詩晉陽に滿たむ。

表題の[玄都觀(玄都观)]は、唐の都長安にあった[観](道教施設)。第1句「前度劉郎」は中唐の詩人、劉禹錫(刘禹锡)を指す。「前度劉郎」は、失敗した政治革新に連なったため貶せられて朗州司馬になっていた彼が、居ること九年で長安に戻り、[玄都觀]を訪れた時に詠んだ詩「遊玄都觀: 紫陌紅塵拂面來,無人不道看花回。玄都觀裏桃千樹,儘是劉郎去後栽」と、この詩が原因で彼が忌避され、再度の左遷で連州刺史の生活を十数年した後に、長安に呼び戻され、再び[玄都觀]に遊んで詠んだ「再遊玄都觀: 百畝庭中半是苔,桃花淨盡菜花開。種桃道士歸何處, 前度劉郎今又來」と詠じたことを踏まえる。「複阮郎」は、「前度劉郎今又來」が、実は[太平広記]に収められた[幽明録]逸文[劉晨阮肇入天台]([リップ・ヴァン・ウィンクル-浦島太郎]型の道教説話)を下敷きにしていることによる。詩人の姓が[元]であることも忘れてはなるまい。しかし、こうしたことは別の機会に書くことにしよう。

と云う訣で、問題は第3句の「非關小雨能留客」だ。「小雨」であって「水雨」ではない。面食らって、おもわず、バーミヤンに行ってしまった。問題の書幅の傍に座って、麻婆豆腐を食べながら、しげしげと見てみたが、やはり「水雨」と読める。隷書だから、嗜みのない私でも見間違いはしてないだろうとは思う。

「小雨」の方のなら、意味は「小雨が降ってはいるが(桃花が素晴らしいので)気にならない。とても立ち去ろうとは思えない」とでもなるのだろう(「立ち去れないのは雨が降っているせい、つまり、『遣らずの雨』ではない」とは取らない)。

では「水雨」ではどうか? 「ビミョー」とでも言うしかない。「水雨」は、中国語として熟した言葉であるのかと云う点を措くとして(詩には新奇な表現を熟させると云う機能があるから、この点をあげつらうことには意味がない)、「小雨」の方が情景として美しい。それに、その後の「自是桃花要洗妝」は、「(雨は)もともと、それで桃花が顔を洗おうとしているのだ」ぐらいの意味だろう。ここは細かな雨であるべきではないか。

しかし、では「水雨」はあり得ないかと言うと、何とも言えない。そもそも、「非関水雨能留客」が、[玄都觀桃花]から採ったもの([小雨]から[水雨]への変化が意図的であるかどうかは別として)であるかどうかも分からない。元好問の詩とは無関係であることもありうる訣だ。ただ、そうだとすると、初めの感想に帰ってしまう: 「一体、どう云う意味だろう」。

結局振り出しに戻ってしまったので、元好問関連のリンクだけでもまとめておこう。

1. 金史巻一百二十六[列伝第六十四文藝下] (父[元徳明]と合わせた伝記がある)。繁体字版(金史卷一百二十六 列傳第六十四 文藝下)もある。
2. 元好問 (新華網山西頻道 2005-07-20 來源)
3. 《元遺山集》一(金)元好問 撰
4. 《元遺山集》二(金)元好問 撰
5. 《元遺山集》三(金)元好問 撰
6. 《元遺山集・遺山先生新樂府》四(金)元好問 撰
7. 《元遺山集・續夷堅志》完(金)元好問 撰
8. 读书山
9. 元好問
10.逸海書城--現代文學--魯迅--雜文集--且介亭雜文--儒術

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