« メモ: 岩波文庫[オーウェル評論集] | トップページ | メモ: 料理用語としてのイタリア語 "sfumare" »

Joyce Kilmer の詩 "Trees"

([Joyce Kilmer の詩 "Trees" 改訳] を参照されたい。2006-12-26)

このブログ [nouse] のアクセス解析を見てみると、"Trees Joyce Kilmer" を含む検索フレーズでヒットした結果、訪問してこられる方が結構多い。

残念ながら、[nouse] では Joyce Kilmer に就いては、[Ogden Nash (オグデン・ナッシュ) の詩二篇翻訳] において、Ogden Nash が作ったパロディの本歌として参照されているのみだったので、来訪者を落胆させていたことと思う。

そこで、少し情報を補足しておく。

Joyce Kilmer の略歴や詩 "Trees" に就いては、Wikepedia の Joyce Kilmer (December 6, 1886 - July 30, 1918) の項を見れば、ある程度のことは分かる。

    "Trees" のテキストは、以下でも見ることができる。
  1. 119. Trees. Joyce Kilmer. Modern American Poetry
  2. Poetry of Joyce Kilmer, full-text; poetry of Joyce Kilmer, at everypoet.com
  3. Trees, by Joyce Kilmer
    また、和訳も公開されている。
  1. カフェ・ド・エルサイトウ
  2. gonzui: jnethack-3.4.3-0.5/dat/jdata.base

ついでなので、拙訳を書いておこう。

先ず、原文:

Trees

I THINK that I shall never see
A poem lovely as a tree.

A tree whose hungry mouth is prest
Against the sweet earth's flowing breast;

A tree that looks at God all day,
And lifts her leafy arms to pray;

A tree that may in summer wear
A nest of robins in her hair;

Upon whose bosom snow has lain;
Who intimately lives with rain.

Poems are made by fools like me,
But only God can make a tree.

次が、拙訳。係り結びをしていないので、中途半端なものではあるが、文語体で訳しておく。

樹こそ

思へらく、樹の如く愛しき詩(うた)
我見知ることあるまじ

樹こそ、地母の美(うま)し溢るる胸乳に
渇ける唇を壓し当て

樹こそ、終日(ひねもす)神一人を見つめ
葉繁き腕を捧げて祈りなす

樹こそ、夏には駒鳥の親子もて
その髪を化粧(けはひ)せむ

その懐には雪が置き
自ら親しく雨と泥む

詩は、我ら愚か者が詠み出だすもの
樹こそ、神一人のみ創りなす

解釈に困るようなところはないが(この詩の取り柄は、それくらいだろう)、一応気づいたことを書いておくと:

第2連は、乳児としての「樹」が母なる大地の乳を吸っているイメージ。flowing は [乳に溢れる] と云う含意。旧約聖書における「約束の地」カナンが「乳と蜜の流れる」と形容されていることにも注意。

And I am come down to deliver them out of the hand of the Egyptians. and to bring them up out of that land unto a good land and a large. unto a land flowing with milk and honey; unto the place of the Canaanites. and the Hittites. and the Amorites. and the Perizzites. and the Hivites. and the Jebusites.--EXODUS 3:8 (King James Version)

それゆえ、わたしは降って行き、エジプト人の手から彼らを救い出し、この国から、広々としたすばらしい土地、乳と蜜の流れる土地、カナン人、ヘト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の住む所へ彼らを導き上る。--出エジプト記 3.8 (新共同訳)

第3連は、天なる神に「樹」が祈りを捧げている。"lift" するのは、"arms" より "hands" の方が collocation として素直だろうが、枝の隠喩として "leafy arms" を使いたかったのだろう。"her" とされているから女性なのだが、一日中手を捧げていると云うのは「苦悩」や「泣訴」を象徴してしまい、現状では、(この詩が、ただ一本の樹に就いて語っているのではないことを考慮に入れても)他の連との一体性が欠ける。

第4連と第5連は、「増量」のために苦し紛れに作った感じだ。「樹」のイメージが、いきなり「慈母」になっている。ついでに書いておくと、霜や露が「置く」と云う言い方は周知だろうが、「雪」もまた同様。

かささぎの わたせる橋に 置く霜の 白きを見れば 夜ぞ更けにける 中納言家持 (百人一首なので「中納言」のままにしておく)

心あてに 折らばや折らむ 初霜の 置きまどはせる 白菊の花 凡河内躬恒 (勿論、これも百人一首)

秋草に 置く白露の 飽かずのみ 相見るものを 月をし待たむ 大伴家持 (万葉集巻第20)

秋萩の 上に置きたる 白露の 消かもしなまし 恋ひつつあらずは 弓削皇子(万葉集巻第8。なお巻第10にも同一首あり)

富士の嶺に 降り置く雪は 六月の 十五日に消ぬれば その夜降りけり 高橋虫麻呂? (万葉集巻第3)


Kilmer が言いたかったのは第1連と最終第6連だろうが、取り敢えず「神(多分に animistic)」を讃えているだけで、切実なところが伝わってこない。パロディが出来ている位だから、米国では人口に膾炙しているのだろうが、私には何処が良いのかサッパリ分からない。

    関連記事
  1. nouse: Ogden Nash の詩二篇翻訳
  2. nouse: Joyce Kilmer の詩 "Trees" 改訳

|
|

« メモ: 岩波文庫[オーウェル評論集] | トップページ | メモ: 料理用語としてのイタリア語 "sfumare" »

翻訳」カテゴリの記事

英語/English」カテゴリの記事

詩/文藝」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/40172/12155260

この記事へのトラックバック一覧です: Joyce Kilmer の詩 "Trees":

« メモ: 岩波文庫[オーウェル評論集] | トップページ | メモ: 料理用語としてのイタリア語 "sfumare" »