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2006年9月の5件の記事

メモ: 岩波文庫[オーウェル評論集]

岩波文庫の[オーウェル評論集](1982年 東京 岩波書店)を読んだ。訳者は[小野寺健]。意図したものではないが、「nouse: メモ:コナン・ドイルの恐怖小説一篇「サノックス卿夫人秘話」」で、翻訳品質に言及した訳者と同姓同名である。多分、同一人物なのだろう。しかし、今回は読んでいて、はっきりした「翻訳文としての違和感」を感じたのは1か所のみだった。

読みながら、頻りに魯迅の文章を思った。この二人が私の中で掻き立てるものは、奇妙に似ている。


「違和感」のことを書いておく。

集中最後の一篇である[出版の自由]に、こうある。

もっとも有名な例が、特許薬の騒ぎだが、このばあいもカトリック教会が新聞雑誌に相当の圧力をかけて、ある程度はその批判を封ずることができるのだ。--p.351

この「特許薬の騒ぎ」と云うのが、気に入らない。文脈に載っていないではないか。「誤訳」の臭いがする。

で、ネット上で原文を探すと、次のものが見つかった。

The best-known case is the patent medicine racket. Again, the Catholic Church has considerable influence in the press and can silence criticism of itself to some extent. --George Orwell: The Freedom of the Press

つまり "patent medicine" を安易に「特許薬」と訳してしまった訣だ。しかし、この言葉は、「特許薬」と云うより、いわゆる「処方薬」と異なる、薬局で一般に買える「売薬」を意味すると考えた方が良い(たとえば、英文版 Wikipedia の "Patent medicine" の項参照)。

Patent medicine is the term given to various medical compounds sold under a variety of names and labels, though they were for the most part actually trademarked medicines, not patented. In ancient times, such medicine was called nostrum remedium, "our remedy" in Latin, hence the name "nostrum"; it is a medicine whose efficacy is questionable and whose ingredients are usually kept secret. The name patent medicine has become particularly associated with the sale of drug compounds in the nineteenth century under cover of colourful names and even more colourful claims. The promotion of patent medicines was one of the first major products of the advertising industry, and many advertising and sales techniques were pioneered by patent medicine promoters. Patent medicine advertising often talked up exotic ingredients, even if their actual effects came from more prosaic drugs. One memorable group of patent medicines--liniments that allegedly contained snake oil, supposedly a universal panacea--made snake oil salesman a lasting synonym for a charlatan.--Patent medicine - Wikipedia, the free encyclopedia--03:55, 14 September 2006

残念ながら、オーウェルが言及している事件が何であったのか確定できなかった。従って、安易に「売薬」と云う訳語を使うべきか否かは判断できない。しかし、現代の日本における[薬事法違反]に類することに、カソリック教会が関係していたと、オーウェルは諷したと推測してよいと思う。

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スターバックスのオリジナル・ロゴ


米国のスターバックス・コーヒー・カンパニー (Starbucks Coffee Company) が創業35周年と云うことで、今月(2006年9月)中は、ワシントン州 (本社がある) とオレゴン州 (ワシントン州の南隣にある) 内の店で出すコーヒーのカップに付けてあるロゴを、通常のものから差し替えてオリジナルのものにしているそうだ(ただし、こちらのロゴも「オリジナル」と呼ばれている)。

オリジナルは、胸乳を露にした双尾の人魚が、自らの二つの尾をそれぞれの手で一つづつ握り締めているように見える。実は、現在のロゴ中、女性像の両脇の文様が何であるか、私はかねがね不思議に思っていたのだが、オリジナルを見て、人魚の尾であると納得した。

ちなみに、ケント市内の小学校の校長先生が、教師たちにスターバックスのコーヒーを学校に持参する際には、スリーブで、上半身裸の人魚部分を隠すよう言った由。--The Insider: Principal roasts Starbucks over steamy retro logo. Monday, September 11, 2006

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ビンスワンガー [夢と実存] 中の一挿話

Ludwig Binswanger の "Traum und Existenz" の和訳が、Michel Foucault の「序論」(le Rêve et l'existence -- Introduction) とともに、[みすず書房] から出版されている([夢と実存]。L.ビンスワンガー/M.フーコー。1992年 東京 みすず書房。ISBN4-622-03059-4)。

フーコーの序論の方が、ビンスワンガーによる本体より2倍ほど長いと云う、どちらが母屋でどちらが庇かよく分からない本なのだが、まぁ、そんなことはどうでもいい。

その本体のほうで、ビンスワンガーが紹介している Gottfried Keller (ゴットフリート・ケラー) が見た夢の話が印象的だった(pp.130-133)。それは、ケラーの [夢日記] (Traumtagebuch) の(前後の日付からして1847年)12月3日に記されているものだ。

前後2つの夢が記録されているのだが、前の夢はケラーを悲しませ、後の夢は喜ばせたと云う。

"Traum und Existenz" の原書は所持していないので、ネット上で見つけた、ケラーの Traumtagebuch から対応部分を以下引用する。

Den 3. Dezember

Heute Nacht träumte mir von einem Weih. Ich schaute in einem Hause zum Fenster hinaus, im Hofe standen die Nachbarn mit ihren Kindern, da flog ein großer, wunderschöner Gabelweih über den Dächern einher. Er schwebte eigentlich nur, denn seine Flügel waren dicht geschlossen und er schien vor Hunger krank und matt, indem er immer tiefer sank und sich mit Mühe wieder erheben konnte, aber nie so hoch, als er vorher gesunken war. Die Nachbarn mit ihren Kindern schrien und lärmten und warfen ungeduldig die Mützen nach ihm, um ihn ganz herabzuwerfen. Er sah mich an und schien, sich auf und nieder bewegend, mir sich nähern zu wollen. Da lief ich schnell weg in die Küche, um etwas Speise für ihn zu holen. Ich fand mit Mühe etwas, und als ich hastig damit wieder am Fenster erschien, lag er schon tot am Boden in den Händen eines kleinen lausigen Jungen, welcher die prächtigen Schwungfedern ausrupfte und umherwarf und endlich ermüdet den Vogel auf einen Misthaufen schleuderte. Die Nachbarn, welche ihn endlich mit einem Steine herabgeworfen hatten, waren unterdessen auseinander- und an ihre Geschäfte gegangen. Dieser Traum machte mich sehr traurig; hingegen ward ich wieder sehr vergnügt, als ein junges Mädchen kam und mir einen großen Strauß Nelken zum Kaufe anbot. Ich wunderte mich sehr, daß es im Dezember noch Nelken gebe, und handelte mit dem Kinde; sie verlangte drei Schillinge. Ich hatte aber bloß zwei in der Tasche und war in großer Verlegenheit; ich verlangte, sie sollte mir für zwei Schillinge von den Blumen absondern, indem nur so viel in meinem Champagnerglas, in welchem ich die Blumen gewöhnlich aufbewahre, Platz hätten. Da sagte sie: »Lassen Sie mal sehen, sie gehen schon hinein.« Nun stellte sie eine Nelke nach der andern bedächtig in das schlanke glänzende Glas, ich sah ihr zu und empfand jenes Behagen und Wohlgefühl, welches immer in einen kömmt, wenn jemand vor unsern Augen eine leichte Arbeit still, ruhig und zierlich vollbringt. Als sie aber die letzte Nelke untergebracht hatte, wurde es mir wieder angst. Da sah mich das Mädchen freundlich und schlau an und sagte: »Sehen Sie nun? Es sind aber auch nicht so viel, wie ich geglaubt habe, und sie kosten nur zwei Schillinge.« Es waren indessen doch keine eigentlichen Nelken, aber von einem brennenden Rot und der Geruch war außerordentlich angenehm und nelkenhaft.
Projekt Gutenberg-DE - Kultur - SPIEGEL ONLINE

前の方の夢では、ケラーは家の中におり、窓から「鳶」(Weih 又は Gabelweih--アカトビ?) が疲れた様子で高くなり低くなり飛行しているのを見つける。彼は、鳥に「食べる物」を与えようとして台所に走るが、窓まで戻ると、「鳶」は既に隣家の子供に捕らえられ殺されていた。死んだ鳥は、羽根(Schwungfedern--風切り羽根。ちなみにアカトビは初列風切り羽根は白く目立つ)をむしり捨てられた揚げ句、ゴミの山(Misthaufen--みすず書房版では「堆肥」)に投げ棄てられてしまう。

ケラーは、" Dieser Traum machte mich sehr traurig;" (この夢は私を大変悲しませた) と書いてから、次の夢を語りはじめる。こちらの夢では、ケラーは、少女と出会い、カーネーション (Nelken--ナデシコ属の総称なので「ナデシコ」と訳す手もあるだろう) の大きな束を3シリングで買わないかと言われるが、彼は2シリングしか持ち合わせがない。そこで、いつも彼が花を挿すシャンパングラスには入りきらないと云う口実をつけて2シリングだけ買おうとする・・・

ここから先は、みすず書房版からの引用をしよう。

このとき彼女はいった。「まあ、わたしにまかせてごらんなさい。ちゃんとみんなはいりますから」と。そして彼女はカーネーションを、一本一本、きらきら輝くほっそりしたグラスに慎重に差していった。わたくしは彼女の様子を眺めながら、心地よさ、快適感を味わっていた。この感じは、だれかが目の前で、だまって静かに優美に、たやすい仕事をやってのけるのをみているときに、いつも感じる性質のものであった。しかし彼女が最後のカーネーションを差しおわったとき、わたくしはふたたび不安になった。このとき少女は、親しげに悪戯っぽくわたくしをみて、こう言った。「ごらんなさい。でも、あたしが思っていたほど沢山はないから、二シリングだけで結構です。」しかもこうしているうちに、これは、普通みるカーネーションではなくて、燃えるような真赤な色のカーネーションになっていた。しかもその香りは、カーネーションらしいここちよいものであった。--p.133

"schlau" は、どう訳すかで、文章の印象が随分変わるが、みすず書房版では「悪戯っぽく」と訳されていて、これはこれで「有り」かなとも思える。しかし「(親しげに、そして)なにもかも承知している様子で」や、「(親しげに、けれども)皮肉っぽく」も、検討して良いだろう。

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[イギリス幻想小説傑作集] 中の [幽霊船]

「サノックス卿夫人秘話」を読んだ後、引き続いて「イギリス幻想小説傑作集」(由良君美 編。1985年。東京。白水社。ISBN4-560-07073-3)の残りを読んだ。

それほど期待していなかったのだが、[拾い物] があって、それが [幽霊船] だ。"The Ghost Ship" by Richard Barham Middleton. 訳: 南條 竹則。

所謂 [ホラ話] なので、語り口と云うか、話芸と云うかが何よりも大切で(例えば、落語の [粗忽長屋] を思い出してほしい)、そして翻訳としての [幽霊船] は、勿論日本語での語り口だから、我我が感じるのは、訳者の話芸ということになる。これが、なかなか堂に入ったものなのだ。

ところが、これから聞かせる話は、こんな土地に住んでるおれたちでも変ちくりんだと思うくらいでね。毎年狩りの季節になりゃあ、幽霊猟犬が三つの群で獲物を追っかける……鍛冶屋のひい爺さんは一晩中死んだ紳士方の馬に蹄鉄を打っている……こんな村のおれたちでもね。今言ったようなことだってお節介やきのロンドンじゃ、まず、びっくりのくちだろ? だけど鍛冶屋なんか平気なもんで、小羊みたいにスヤスヤ寝ているよ。いつだったか奴さん頭痛がしたから、うるさい音をたてるなった連中に怒鳴りつけたことがある。そしたら次の朝、おわびのしるしに古いギニー金貨が一枚、鉄床に置いてあったっていうじゃないか。鍛冶屋は今でもその金貨を懐中時計の鎖につけてるよ。でも肝心の話に戻らなきゃいけないな。フェアフィールドの不思議話を語りだしたら、際限(きり)がないもの。-- p.63/64

原文も引用しておく。

Still, I must admit that the thing I'm going to tell you about was queer even for our part of the world, where three packs of ghost-hounds hunt regularly during the season, and blacksmith's great-grandfather is busy all night shoeing the dead gentlemen's horses. Now that's a thing that wouldn't happen in London, because of their interfering ways, but blacksmith he lies up aloft and sleeps as quiet as a lamb. Once when he had a bad head he shouted down to them not to make so much noise, and in the morning he found an old guinea left on the anvil as an apology. He wears it on his watch-chain now. But I must get on with my story; if I start telling you about the queer happenings at Fairfield I'll never stop.

ただし、翻訳として正確かと云うと、回答は留保せざるをえない。

例えば、「今言ったようなことだってお節介やきのロンドンじゃ、まず、びっくりのくちだろ? だけど鍛冶屋なんか平気なもんで、小羊みたいにスヤスヤ寝ているよ」は、"Now that's a thing that wouldn't happen in London, because of their interfering ways, but blacksmith he lies up aloft and sleeps as quiet as a lamb." に対応する訣だが、原文の含意は、ロンドンじゃ「びっくりのくち」でも、鍛冶屋が「平気」でもない。

まず、「お節介やきのロンドン」が「びっくり」するでは、文章がつながらない。"Now that's a thing that wouldn't happen in London, because of their interfering ways" が言っているのは、ロンドンでは何につけても邪魔立てするので、幽霊たちは気安く「毎年狩りの季節になりゃあ、幽霊猟犬が三つの群で獲物を追っかける……鍛冶屋のひい爺さんは一晩中死んだ紳士方の馬に蹄鉄を打っている……」などとしていられないと云うことだ。だからこそ、この文章はその後の鍛冶屋が「ひい爺さん」(勿論幽霊)や幽霊馬たちの行為に関わらず、仔羊のように寝ていると云うは表現につながるのだ。

"blacksmith he lies up aloft" を「鍛冶屋なんか平気なもんで」と訳してあるのも疑問だ。これは単に、鍛冶屋の仕事場が(多分)一階にあるのに対し、寝ている場所が(これも多分)二階にあると云うことだろう。だから、鍛冶屋は幽霊たちに対し "shouted down to" するのだ。

さらに、"But I must get on with my story; if I start telling you about the queer happenings at Fairfield I'll never stop." についても、私としては異論がある。

とにかく、私の試訳を書いておこう。

ところが、これから聞かせる話は、こんな土地に住んでるおれたちでも変竹林だと思うくらいでね。毎年狩りの季節になりゃあ、幽霊猟犬が三つの群で獲物を追っかける……鍛冶屋のひい爺さんは一晩中死んだ紳士方の馬に蹄鉄を打っている……こんな村のおれたちでもね。今言ったようなことでさえ、ロンドンじゃ起こりっこないだろ。連中口うるさいからね。だけど、こっちの鍛冶屋なんか二階に引っ込んで、仔羊みたいにスヤスヤ寝ているよ。ただ、いつだったか奴さん頭痛がしていたもんで、あんまり音を立てるなって上から連中に怒鳴りつけたら、次の朝、おわびのしるしに古いギニー金貨が一枚、鉄床の上に置いてあってさ。あいつ、今でもその金貨を懐中時計の鎖につけてるよ。でも肝心の話を急がないとな。フェアフィールドで起こったその変竹林な出来事を話しだしたら、中途で止めることはしないからね。

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メモ:コナン・ドイルの恐怖小説一篇「サノックス卿夫人秘話」

私の仕事場兼寝室で若干の工事をすることになったため、室内の本を半分程整理して、段ポール数十箱に詰め込み、別の部屋に移したのだが、その時シリーズの他の本からはぐれて畳の上に落ちていた一冊があった。[白水uブックス] の 「イギリス幻想小説傑作集」(由良君美 編。1985年。東京。白水社。ISBN4-560-07073-3)がそれだ。

未読だったので、不図読み始めた。最初の一篇がコナン・ドイルの「サノックス卿夫人秘話」だった訣だが、読んでいて違和感がある。それも訳文品質(訳者: 小野寺 健)に難がある筈と云う違和感だ。

そこで、原文(Arthur Conan Doyle: "The Case of Lady Sannox") に当たってみることにして、ネット上で探してみると、種種見つかるが、こでは literaturecollection.com の "Round The Red Lamp - The Case of Lady Sannox by Arthur Conan Doyle" に従って以下の話を進める。

原文に当たると言っても、時間がないから、白水社版で気になった所の対応箇所を拾い読みしただけなので、全く不十分な比較にしかなっていないことをお断りしておく。

始めに白水社版の訳文、次いで原文を掲げた後、私のコメント(もしあれば)を書く。

1. 白水社版第5ページ: [従僕とともに]
冒頭、主人公である外科医の愛人だった [サノックス卿夫人] が修道院へと隠棲し、それと同時に主人公が廃人となっているのが発見されると云うくだりで

かの高名な外科の名手は偉大な頭脳の力を完全に失い、両脚をズボンの片方に突っこんだ泥酔状態でうつろな笑いをうかべながら、従僕とともにベッドに腰かけていたというのである。

... the celebrated operating surgeon, the man of steel nerves, had been found in the morning by his valet, seated on one side of his bed, smiling pleasantly upon the universe, with both legs jammed into one side of his breeches and his great brain about as valuable as a cap full of porridge,...

いきなり高校生レベルの誤訳だが、白水社版では "by his valet" を、「従僕とともに」としてしまっている。勿論、"by his valet" は "had been found" にかかっているので、実際の意味は、外科医が腑抜けになっているのに従僕が気づいたと云うことだ。

試訳
鋼鉄の神経の人であったこの高名な外科医が、その日の朝、両脚をズボンの片方に突っ込み、偉大であった彼の脳髄が一椀の粥ほどの値打ちしかないものになっていると云う状態でヘラヘラ笑いながらベッドに腰かけているのを、彼の従僕が発見したと云うことが・・・

2. 白水社版第13/14ページ: [アルコール]
ある夜、外出間際の外科医のもとに「トルコ人商人」が訪れる。そして懇望されて、猛毒の付いた剣で下唇を傷つけたと云うその妻を往診することになった外科医は、手術用の麻酔剤を持参しようとするが、それを見とがめられる。

「クロロフォルムです。」
「ああ、それも使うことは許されません。アルコールの一種ですから、われわれには使えないのです。」

"It is chloroform."
"Ah, that also is forbidden to us. It is a spirit, and we make no use of such things."

[クロロフォルム CHCl3] --ちなみに、学術用語としては [クロロホルム]-- は「アルコールの一種」ではない。ここでの "spirit" は、「蒸留抽出物」ぐらいの意味だろう。

試訳
「クロロホルムです。」
「ああ、それも使うことが禁じられています。蒸留によって得られたものを、わたしどもが使うことはありません。」

3. 白水社版第16ページ: [三階]、[看護婦]、[がらくた]
「商人」滞在住居を訪れた外科医は、人が住んでいるとは思われない一階から、階段を登って寝室へと案内される。

寝室は三階だった。ダグラス・ストーンが老看護婦について中に入ると、商人もすぐあとにつづく。すくなくともこの部屋には家具もあれば、がらくたもあった。

The bedroom was on the second landing. Douglas Stone followed the old nurse into it, with the merchant at his heels. Here, at least, there was furniture and to spare.

● "landing" は [踊り場] のことだから、"the second landing" は「三階」を意味しない。この文章を普通に読むなら、[寝室] は二階にある。そして、そこに至る階段の途中に踊り場が1つあって、そこで階段が折れ曲がり、更に登って行って2つ目の踊り場で二階に達すると云う構造だろう。
● 「看護婦」は、勿論 "nurse" の訳語であるわけだが、やや唐突だ。本稿では引用していないが、この "nurse" は、ダグラス・ストーンと「商人」とを出迎えた "an elderly woman" と同一人物だから、そこでの訳語「老婆」をそのママ使った方が良かったろう。
● "and to spare" は、「がらくた」と云う意味ではなく、[あり余るほどの] と云う意味。

試訳
二つ目の踊り場まで登ると寝室があった。老婆の後から、ダグラス・ストーンが寝室の中に入り、踵を接するようにして商人が続いた。少なくとも、こちらの方には、あり余るほどの家具があった。

4. 白水社版第18ページ: [黒目]
ケガをした女は、夫によりアヘンを与えられて昏睡していた。

ヤーシュマークの隙間から、二つの黒い目が彼を見上げている。全体が黒目になっていて、瞳孔はほとんど見えなかった。

Two dark eyes were gazing up at him through the slit in the yashmak. They were all iris, and the pupil was hardly to be seen.

前半はこれでよいだろう。しかし、後半は問題がある。たしかに "iris" と "pupil" とを、生硬でなく訳し分けるのは難しい。特に、現在の日本語では「ひとみ」と云う言葉が、[瞳孔] と云う正しい意味で使われることが少なくなってしまっている。はなはだしい場合は、目又は目蓋を閉ぢてと云う意味で「瞳を閉ぢて」を使いと云う誤用が平然として行なわれている。しかし「全体が黒目になっていて、瞳孔はほとんど見えなかった」では、アヘン(モルヒネ)の影響で瞳孔収縮が起こっている(まさに「瞳が閉ぢて」しまっている)ことが見えてこない。

ちなみに、上記引用部分の直後は

"You have given her a very heavy dose of opium."
"Yes, she has had a good dose."


となっている。

試訳
ヤーシュマークの隙間から、二つの黒い目が彼を見上げていたが、それは、虹彩ばかりが目立って、瞳孔はほとんど見分けられないものだった。

5. 白水社版第19ページ: [毛布]、[もうひとつのもの]
主人公の外科医は女の下唇を切除するが、意外なことが起こり、茫然自失して、女の寝ていた長椅子の脚もとに座り込む。

ダグラス・ストーンは前にのめったまま、毛布の端の房をいじりはじめた。メスは甲高い音をたてて床に落ちたが、彼はいまだにピンセットともうひとつのものを手にしていた。

Douglas Stone stooped forwards and began to play with the fringe of the coverlet. His knife tinkled down upon the ground, but he still held the forceps and something more.

"coverlet" と云うのは、女が寝ていた長椅子 (couch) の敷物のことだから、「毛布」とは限らないだろう。また、"something more" は、切除した下唇を婉曲に表わしており、それが鉗子 (forceps) に挟まったままの状態であることが訳されていなければならない。

試訳
ダグラス・ストーンは前のめりになると、長椅子の敷物の房縁を弄り始めた。メスは甲高い音をたてて床に落ちた。しかし、それでも彼は、肉片を挿んだ鉗子の方は放さなかった。

ちなみ、"The Case of Lady Sannox" の電子テキストとしては、本稿で準拠した literaturecollection.com 版 の他に、bakerstreetdozen.com 版Wikisource 版Project Gutenberg 版 などがあるが、それらでは、"Douglas Stone stooped forwards" ではなく、"Douglas Stone stooped for yards" となっており、意味がとりづらい。


6. 白水社版第19ページ: [傷]
「トルコ人商人」は、彼の妻の下唇の傷が、毒を塗った剣でできたものではなかったことを告白する。

あの傷は、じつは、認め印のついたわたしの指輪でつけたものなのだ。

The wound, by the way, was from nothing more dangerous than my signet ring.

ノーコメント。

試訳
それから言っておくと、あの傷だが、私の指輪に彫ってある認め印を押して付けたと同じぐらい無害なものだったのさ。

なお、「イギリス幻想小説傑作集」は現在絶版になっている模様。

また、"The Case of Lady Sannox" の翻訳は以下の書籍に所収されているらしいが、未見。


  1. 偕成社文庫<3190> 「七つの恐怖物語―英米クラシックホラー」

  2. くもん出版/幻想文学館4 「悪夢のような異常な話」

  3. 国書刊行会 「書物の王国16 復讐 」

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