« アシモフ [黒後家] での誤植 | トップページ | Like Shut up!: "If you see something, say something." 補遺その2 »

「説明は不用だって、ログ」ルービンが遮った。「そういうのを蛇足って言うんだ」:アシモフが作ったジョーク

アイザック・アシモフ (Isaac Asimov) のミステリ [黒後家蜘蛛の会] ("the Black Widowers") シリーズの和訳の一つ [黒後家蜘蛛の会 4] (池 央耿 訳 創元推理文庫 ISBN4-488-16705-5) 所収の一篇「運転手」の中で、登場人物の一人ロジャー・ホルステッド(「会員」の一人である数学者)は、次のようなジョークを披露している。参考のために、前後を少し含めて引用すると:

「・・・(前方は引用略。ゲストの [カート・マグナス] の発言)・・・さっきのホルステッドさんのお話しですが、ユーモアの本質というのは、まさに飛躍ですね」
「そうです、そうです」ホルステッドは牛の腎臓の乗せたトーストを頬張りながら言った。
「こういうのはどうかね。……ジャックがバーで、ビールを前に浮かない顔をしている。そこへ、ボブがやって来て声をかける。"どうした? 不景気な顔をしているじゃないか" すると、ジャックが "女房のやつ、おれの親友と手に手を取って駆け落ちしやがった" ボブが "おまえ、それは何を言うんだ? おれはお前の親友だぞ" と、ジャックが "もう親友でも何でもない"」
一同はどっと笑い、トランブルさえ不本意ながら、にやりと口の端を歪めた。
「わかるだろう」ホルステッドは言った。「聞いているほうでは最後の最後まで、ジャックは悲嘆の底に……」
「説明は不用だって、ログ」ルービンが遮った。「そういうのを蛇足って言うんだ」

注: 引用中「にやりと」する [(トーマス・)トランブル]と、最後で口を挟む[(イマニュエル・)ルービン] とは、やはり「会員」である「暗号専門家」と作家。

実は、以前このジョークを読んだ時、少しも笑えなかった。更に有り体に言うなら、訳者が笑いのツボを外しているために、可笑しみが出ないでいると確信したが(その積りのものと思われる書き込みが、私の持っている文庫本にはある)、如何せん原文を持っていなかったので、確認は出来なかった。

しかし、最近 [黒後家] を読み直してみて、このジョークが有名なものであるなら、ネット検索に引っかかるだろうと思い、調べてみた、と云うのが、この一文のソモソモのきっかけである。その結果は、やや意外なことが起こったのだが(振り返ってみれば大したことはない)、そのことを書く前に、引用した形では、ジョークとして何故失敗しているか、説明しておく。

まぁ、いわゆる「ネタバレ」になってしまうが、この手の類型的ジョークには、そうした心配をしてもしょうがない。「ジョークの説明をするな」と云う「御尤も」とでも言うしかない有り得べき忠告にも、あらかじめ耳を塞いでおく。

このジョークの勘所は、その最後になって [夫にとって妻と駆け落ちしてくれた男こそが最良の友] と云うメッセージが現われることだ。ついでに書いておくと「黒後家蜘蛛の会」は女人禁制(その中核は細君の同伴禁止)が、会の存続にも関わる絶対的規則であることを考えれば、「一同はどっと笑」った意味が分かるだろう(女性をゲストに招こうとして惹起される騒動に就いては [黒後家蜘蛛の会 4] の「よきサマリア人」を参照)。

だから、このジョークの構成には大切にしなければならないことが2つある。

  1. 「最良の友」に就いてのジャックの考えを、ボブが取り違える訣だから、その取り違えが自然に起こるように話が進まねばならない。

  2. ジョークの結末において、ジャックは女房が駆け落ちしてくれて喜んでいるのが明らかにならねばならない。更に、ジャックが喜んでいることが明らかになるのは、ジョークの結末においてとは言え、ジャックはジョークの最初の時点から喜んでいる。だから、ボブの発言部分ではジャックが落ち込んでいる含意があってもよいが(これは、ボブの主観だからだ)、地の文では、ジャックが喜んでいると云う事実と反するような表現をしてはならない。ただし、勿論、このことは、地の文が、ボブの発言と相俟って、ジャックが落ち込んでいると読者に思いこませるようミスリードすること妨げない、と言うか、むしろ推奨される。

創元推理文庫での訳は、この2つの criteria を満たしていない。

  1. 文庫訳での「おれの親友」では、単複がハッキリしないから、ボブの発言「おれはお前の親友だぞ」が中ぶらりんになってしまっている。つまり、ボブが「親友」の意味を誤解していることが明瞭でない。まぁ、この問題は「お前の親友と云ったらおれのことじゃないか」ぐらいに直せば回避できるが。

  2. それよりも、重大なのはジャックの最後の言葉「もう親友でも何でもない」だ。これでは、ジャックが女房から解放されてセイセイしていることが伝わらない。言ってみれば、この台詞のときジャックはニヤリと笑っていなければないないのだ。
    なんで「文庫」では、今のような訳になっているのか理解に苦しむ。すぐ後にホルステッドの「聞いているほうでは最後の最後まで、ジャックは悲嘆の底に……」と云う、まさに蛇足のようにあからさまなヒントがあるのに。


残念ながら、私は [黒後家蜘蛛の会] の原文テキストを持っていない。しかし、私が [黒後家] を最初に読んだころ(多分10年ぐらい以前)と比べてと、個人の fact finding 能力に革命的変化が起こっている。www が張り巡らされ、これに加えてブロードバンド環境が確立したのだ。

著作権上の制限があるから、[黒後家蜘蛛の会] の原文テキストがネット上で見つけられるとは思っていなかったが、問題のジョークが人口に膾炙しているものであるならば、検索に引っかかる筈だと、探し始めたのだった。キーワードの核になるのは "my wife" "my best friend" "your best friend" と云ったところ。

結局、[黒後家蜘蛛の会] の英文テキストは見つからなかったが、それでも判ったことは、Isaac Asimov は "The Sense of Humor" と云うエッセイを書いており、その中で上記引用のジョークと大同小異のジョークを自らが作ったものとして紹介していると云うことだった。このエッセイは "ROBOT VISIONS" と云う著作に収められているとのこと。

全くの偶然なのだが、"ROBOT VISIONS" (Victor Gollancz Ltd. London 1991. ISBN0-575-05056-X)なら持っていた。ずいぶん以前東京神田神保町の本屋のバーゲンセールで買って、そのまま読まずに放ってあったのだ。引っ張り出して読んでみると、"The Sense of Humor" は 5 ページほどの短いエッセーである。その中に、次のようなジョークが自作であるとして紹介されている:

Jim comes into a bar and finds his best friend, Bill, at a corner table gravely nursing a glass of beer and wearing a look of solemnity on his face. Jim sits down at the table and says sympathetically, “What’s the matter, Bill?”
Bill sighs, and says, “My wife ran off yesterday with my best friend.”
Jim says, in a shocked voice, “What are you talking about, Bill? I'm your best friend.”
To which Bill answers softly, “Not any more.”

"ROBOT VISIONS" (Victor Gollancz Ltd. London 1991. ISBN0-575-05056-X). p.376

訳すと、こんな感じだろう:

ジムがバーに遣ってくると、一番の親友であるビルが隅のテーブルで一杯のビールをゆっくりと愛おしむように飲んでいる。顔つきが大真面目だ。ジムは、そのテーブルに着くと、心配して声をかけた。「ビル、どうかしたかい?」
ビルは溜め息をつくと言った。「いや、昨日、女房のやつが僕の一番の親友と駆け落ちしてね」
ジムは、驚いて言った。「おいおい、ビル。君の一番の親友って言ったら僕のことじゃないか」
ビルは答えてそっと言った。「今は一番じゃないさ」

|
|

« アシモフ [黒後家] での誤植 | トップページ | Like Shut up!: "If you see something, say something." 補遺その2 »

翻訳」カテゴリの記事

英語/English」カテゴリの記事

読み物・書き物・刷り物」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/40172/6547531

この記事へのトラックバック一覧です: 「説明は不用だって、ログ」ルービンが遮った。「そういうのを蛇足って言うんだ」:アシモフが作ったジョーク:

« アシモフ [黒後家] での誤植 | トップページ | Like Shut up!: "If you see something, say something." 補遺その2 »