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2005年9月の9件の記事

声を潜めて言う


偶然の一致が面白かっただけなんですが、記録しておくと。

2005年9月18日の「Like Shut up!: "If you see something, say something." 補遺」で引用した "Tomato Nation: Like, Shut Up!" のパラグラフの次は、こう始まっています。

The same people who make note of my "bodacious ta-tas" will often conclude, when either I don't respond or I mutter "like, shut up" under my breath, that I don't like boys that way.

この "under one's breath" は、"in a very quite voice." (COD 10th ed.) と云う意味なんですが、稀とは言わないけれど、それほど頻繁に使われる表現でもない。ところが、これが2005年9月13日の「チェスタトンのブラウン神父物一篇」で言及した "The Innocence of Father Brown" に出てくるのです(ただし、"under his breath" と云う形で、別の一篇にですが)。

All three inquirers made an exclamation; and the inspector said under his breath, "Are we after escaped lunatics?" The waiter went on with some relish for the ridiculous story:
The Blue Cross

まぁ、続けて読んだ2つの別々の流れの中での文章中に、同じ表現があったと云うだけで、「だから何なんだ」と言われると、返す言葉がないのですけれど。


ついでに書いておくと、今回の引用で興味深いのは "Like Shut up!" の最後にある "don't like boys that way." と云う言い方ですね。浅学のせいか、私は辞書で見かけたことがありませんが、その意味するところはすぐ分かる。「女性同性愛者」だと云うことでしょう。そして、これは後続の文脈でも裏付けられる。

「後続」部分までとはいきませんが、取り敢えず、引用部分だけでも訳しておきましょう。

私の「スゲェオッパイ」に何事かを言う人物は、私が無視したり、「止めてよ!」と呟いたりすると、大抵私のことを「男嫌い」だと決め込もうとする。

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Like Shut up!: "If you see something, say something." 補遺


先月(2005年8月12日付)、記事 "If you see something, say something." を書いた際には、このキャッチコピーをキーフレーズにして google 検索しても、日本語サイトは殆ど引っかからなかったんですが、最近検索し直してみたら、幾つか出てきました。そのサワリの部分を紹介すると:

1. Chie in Boston:2005年8月10日

ロンドンのテロ事件以降、ボストンのT(地下鉄)でも毎分毎分アナウンスが流れている。切れ間なく流れるので、もうちょっと頻度を減らしてくれてもいいのにな、という感じ
unattended bag(持ち主のいない荷物)とか、suspicious person(怪しい人)を見たら知らせてくれというアナウンスで、途中で"If you see something, say something.(何か見たら、何か言ってください。)"というフレーズがある。この前Sheenaがハーバードスクエアで、コックさんのような白い帽子をかぶって無言でゆっくり歩いている人をみたそうで、その人の帽子には"If you see something, say something ...like shut up!"と書いてあったそう。
毎日地下鉄を使っている人には、いいかげんうるさいよ、もういいよというアナウンスになってきているようで、Sheenaもここ何年かで一番面白いものをみたと言っていた。私も一緒に大爆笑してしまったけど、警戒するに越したことはないし、のど元過ぎれば何とやらだなぁとちょっと思った。

2. Lady Luck の英語日記 [2005年08月30日(火)]

私がNYにいる間によく見かけたものの一つに
このポスターがあります

「If you see something, say something」

電車の中、フェリーの中、街角、公共の場では
いろんなところでこのサインをみました。

厳重警戒下にあるので1ブロックくらいごとに
お巡りさんがたってますし、
地下鉄やフェリー乗り場ではランダムに手荷物検査も
行われていました。

これでホントにbombingsが防げるのか?
ということについてはクラスでも話題になりましたが、
その時は

実際防ぐことはできないかもしれないけど
何もしないよりはましですし、
何と言ってもこの事によって人々を安心させる状況を作っている
という点での効果はある

という結論に達しました。

3. STAGE > 旅行 > 掲示板 > バックナンバー

タイトル:『女性専用車両』 <<旅行>>
投稿者:田舎のプレスリー 男性56歳 2005-04-04 09:56:06

NY地下鉄の各車両に貼ってあったステッカーの文句:
「If you see something, Say something」

実は、これは、「テロ防止のための、不審物についての警告」でした。
初めて見た時は、車両内での犯罪行為を見たら... ということか、と思ったのですが、違っていました

4. 街中の広告 ~マンハッタン~

ベスト・コピー賞!
If you see something, say something.
これほど、明快で、力強くアピールする文句はあるのだろうか!
これは本当に気に入った。犯罪抑止にもきっと大いに影響するにちがいない♪
糸井さんの「おいしい生活」など目じゃない 笑

5. えむあいてぃMBA留学記 by mitjin 2005-08-14 16:27

他にはテロ関係の対応の早さには感心した。ロンドンテロが起きてすぐ、その日朝のボストン地下鉄でテロ警戒放送が流れ始め、警官も朝から地下鉄駅にいた。ボストン時間で早朝にロンドンで事件が起き、もう数時間後には警官が配備されていたから、この対応のすばやさには感心した(因みにそれ以降、毎日テロ警戒放送が地下鉄で流れている。♪If you see something, say something♪ というキャッチフレーズが頭から離れない、、、)。

これらのうちで、私が興味を引かれたのは「Chie in Boston:2005年8月10日」の「ハーバードスクエアで、コックさんのような白い帽子をかぶって無言でゆっくり歩いている人をみたそうで、その人の帽子には"If you see something, say something ...like shut up!"と書いて」と云うくだりですね。この "like shut up!" の "like" の語感が掴めない。勿論、Chie in Boston さんが書いていらっしゃるように、"like shut up!" は「いいかげんうるさいよ、もういいよ」と云う意味であるに違いないんですが、それが "like" とどう結び付くのか、しっかりと掴みたい。より限定して言うなら、"like" は前方 (この例では "If you see something, say something") に係るのか、後方 (この例では "shut up") に係るのか(両方に係ることも考えられる)、或いは、単なる繋ぎの言葉で、意味上の重みは余り無いのかと云うことをハッキリさせたい。

と云う訣で、「いいかげんうるさい」と云う意味合いで "like shut up" が使われている例を、ネット内検索してみると次のものが見つかりました。


  1. Tomato Nation: Like, Shut Up!

  2. Television Without Pity > Birds of Prey > Recaps & Extras > Season 1 Episode 11

  3. Television Without Pity > Boot Camp > Recaps & Extras > Season 1 Episode 6

  4. I Love Bees: The Damage

最初の3つの記事は、無関係ではありません。それは、Sarah D. Bunting と云う女性が "Tomato Nation" の主催者であるとともに、"Television Without Pity" の共同創設者/編集長だからです。ただし、書いたのは、3つとも別人ですね。最初は、Sarah 本人、2番目は Daniel MacEachern, 3番目は Kim Reed. そして、この3つのうち、1番目には "like shut up" が頻出するのに対し、他の2つは、かなりの長文ですが1回づつ。注目すべきは1番目でしょうね。

4番目のサイトの主催者は Dana と云う女性(「性」ラベルは、ネット上では余り意味がないが)。ただし、発言者は seriouseveryonelisten. もともとは、"everyone stop and read" にポストされたものらしい。しかし、文意が取りづらいですね。なお "I Love Bees" は、サイトのエピグラムとして、カフカの『変身』の冒頭部分を掲げているけれども、これは解釈には役に立たないでしょう。だから、これに就いては無視することにします。

と云う訣で、Tomato Nation: Like, Shut Up! をザッと読んでみたのですが、そこから得た印象では、ここでの "like" は、前の文章を受けて、「... みたいなことは押し並べて」と云うことを含意する可能性もありますが、相手の押しつけがましさを拒絶する間投詞のようにも見える。つまり、私にはよく分からない。全くもって面目ねぇ。

問題の文章を1パラグラフだけ紹介しておきましょう。

Let me make something clear. I don’t object to the fact that men comment; I object to the comments themselves. First of all, I started wearing a bra at age ten, so, while it does get a trifle old sometimes, I’ve gotten used to the occasional remark. Second of all, I do not wear tight shirts and short skirts for no reason. I dress not just for warmth but to look attractive as well, and while I do so mostly for the benefit of people I already know, I certainly don’t mind if it earns me an appreciative whistle from a stranger once in a while. But I could do without so-called compliments like "nice titties," frankly. If you find me fetching, feel free to say so, and if you want to ogle me, I can’t stop you, but - "titties"? Like, shut up! Dialogue lifted from a fifties porno will not get it done!

Sarah は、anti-sexist として分類される態の人だと云うだけでなく、この文章自体が sexism で翻訳するのに抵抗をおぼえる内容ですが、 sexism から離れて日本語を使うのは難しい。しかし、無理に男性的・中性的な表現をしても裏燒きされた sexism になるだけなので、こんな具合で・・・

(前のセンテンスの内容: ニューヨークは、この一週間ほど季節はずれの暖かさだ。「私」は陽気の良い日が好きだけれども、実は、また寒くなって欲しい。サンタさんの前に並んでいる子供たちの半分ほどが半ズボンではクリスマスの買い物をする気にならないし、冬着を着てれば、野卑な口笛を聞かずにすむ。)

ハッキリさせておきたいことがある。私は、男性が発言すると云うこと自体に抗議しているのではない。男性の発言内容そのものに抗議しているのだ。まず第一に、私は10歳でブラを着けはじめたので、ブラがちょっと古くなってしまったと云うことが何度かあるうちに、こうした口笛を吹かれると云う事態には慣れっこになってしまった。第二に、私は、理由もなくピッタリしたシャツやショートスカートを身につける事はない。私は、保温のためと云うばかりではなく、魅力的に見えるようにするためにも衣服を着ることがあるけれども、それは、殆どの場合、既に知り合いになっている人たちのためであって、見も知らぬ人物から時折お褒めの口笛を頂けるかどうかなどとは気にしていない。けれども、本当のところ、私は「イカすパイオツ」みたいな「賛辞」を受けないでは済まないのだ。私が誘っていると思ったら、そう言ってくれて構わないし、私に流し目をくれると云うのなら、それを私が止めるわけにはいかない。でも「パイオツ」だって? 止めてよ! 50年代ポルノから頂いてきた台詞が旨くいくわけないでしょ!

うーむ。"titties" が旨く訳せない。それから "short skirts" は「ミニスカート」ではなく「ショートスカート」と訳してある。

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チェスタトンのブラウン神父物一篇

前回記事でも話題にした泡坂妻夫の「宝引の辰捕者帳--朱房の鷹」(文春文庫版 ISBN4-16-737811-6)には、[墓磨きの怪] と云う作品も収められている。これを読んでいたら、不図 G.K. チェスタトン (G.K. Chesterton) のブラウン神父物の一篇を読み返したくなった。そこで以前読んだ文庫本の翻訳を探したが出てこない。読了後、何処かに仕舞い込んでしまったのだ。

仕方がない。Penguin Books 版で読んだ。これは、以前買ったままで放っておいたものだが、たまたま手近に出ていたのだ( 現在品切れ中とのこと)。

問題の一篇は "The Innocence of Father Brown" 中の "The Honour of Israel Gow"。

読んだ感想は言わないでおく。理由に付いてもノーコメント。

だから、これだけなら一文を草することではないのだが、"The Honour of Israel Gow" に就いて、若干気になることがあったので、それを書いておく。

それは、pencil と pencil-case に関わる。

"The Honour of Israel Gow" には、次のような箇所がある。

A curious collection, not of lead pencils, but of the lead out of lead pencils. (p.119)

Perhaps there is a maddening drug made of lead pencils! (p.120)

pencil-leads without the gold pencil-cases; (p.127)

Thieves would have taken the gold snuff-boxes, snuff and all; the gold pencil-cases, lead and all. (p.127)

参照ページ数は、Penguin Books (1950, reprinted 1977) 版による。


一読して、pencil を単に「鉛筆」と訳すと、意味が通じなくなる恐れがあることが判るだろう。

これは、現代日本語では「鉛筆」とは、大概木製である棒状の部材(「軸」)の中心に、顔料製の芯が嵌め込まれてなる筆記・描像用具だからだ。軸端から突出した芯部分で文字を書いたり画像を描いたりし、芯が磨り減ると、軸部分(及び、通常芯も)を削って、芯の突出を回復するようにする。

こうした「鉛筆」のイメージで、上記の引用を解釈しようとすると、"pencil-case" が芯の周りの「軸」相当と云うことになるが、これが金製であるとされている訣だ。しかし、我我が抱いている「鉛筆」の木製軸の部分を金で置き換えるものを想像するのは、難しい。そして、この「金の軸」が削られていたと云うことも考えにくい。

現代日本の「鉛筆」のイメージから離れて引用を読めば、推測は簡単だ。ここで、Chesterton が "pencil" と云う言葉で指し示したかったのは、黒鉛からなる「芯」(と言っても、棒状のものであったとは断定できない)が軸(或いは "case" に従って「ケース」とか「筐体」とかすべきか)に使用時には固定はされてはいるが、接着剤等で永久的な固着はされていないようなものだった筈だ。つまり、現代日本社会で似たものを探すなら、それは「鉛筆」ではなくて、「芯ホルダー」だろう(「(鉛筆)ホルダー」と紛らわしいが、単に「ホルダー 」とも言う)。

この裏付けは、ネット上で直に見つかった(Pencils)。

History of the Lead Pencil
Lead pencils, of course, contain no lead. The writing medium is graphite, a form of carbon. Writing instruments made from sticks cut from high quality natural graphite mined in England and wrapped in string or inserted in wooden tubes came into use around 1560.

鉛筆の歴史
「鉛筆」には勿論「鉛」は含まれていない。書写の役割を果たすのは、炭素の一形式である「黒鉛」(グラファイト)である。イギリスで採掘された高品位天然黒鉛から切り出された黒鉛棒を、紐で包んだり、木製の管に挿入したりして作った筆記用具が、1560年頃から使われていた。

そこで、以前読んだ翻訳ではどうなっていたのか俄然気になりだしたのだった。改めて本腰を入れて捜索したら、出てきましたね。新潮文庫。橋本福夫訳「ブラウン神父の純智」(1975年11月 第19刷)

しかし、これは既に絶版になっているようだ。絶版になった翻訳の品質をあげつらう程の理由は、今のところ見当たらない。

"The Innocence of Father Brown" には、上記の橋本福夫訳(新潮文庫)のほか、中村保男訳「ブラウン神父の童心」(創元推理文庫)、福田恆存/中村保男訳「ブラウン神父の童心」(創元推理文庫。絶版)、村崎敏郎訳「ブラウン神父の無知」(ハヤカワ・ミステリ。絶版?)とあるので、その全部の対比をするとしたら、それはそれで別の面白いかもしれないが、それもワザワザする気はない(機会があったら、中村安男訳は覗いてみても良いな)。

以下も参照:

  1. pencil - definition by dict.die.net

  2. What is the history of the pencil?

  3. History of the Pencil

  4. History of the pencil

  5. ITHistory.html

  6. The Project Gutenberg E-text of “The Story of the Invention of Steel Pens with a Description of the Manufacturing Process by Which They Are Produced”, by Henry Bore


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泡坂妻夫 [天狗飛び] 中の誤植

泡坂妻夫「宝引の辰捕者帳--朱房の鷹」(文春文庫版 ISBN4-16-737811-6)に収められている一篇 [天狗飛び] は、大山詣が主題だが、それに関連して富士講の話が出てくる。そこに曰わく:

「富士に一度登る馬鹿、二度登る馬鹿」とはよく言ったものです。
文春文庫判 (2002年7月10日 第1刷) p.187

はは、これでは諺にならない。勿論、文脈にも乗らない。

この手の諺にはパターンがあるので、それに従うなら「富士に一度も登らぬ馬鹿、二度登る馬鹿」と云う意味合いでなければならない。それを確かめるには、

富士 馬鹿 二度 登る

あたりでネット検索すれば、通常使われる言い方が引っかかってくる。

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Ogden Nash (オグデン・ナッシュ) の詩二篇翻訳


最初は "Song of the Open Road" と云うしばしば引用される詩。

Song of the Open Road

I think that I shall never see
A billboard as lovely as a tree.
Perhaps unless the billboards fall,
I'll never see a tree at all.

ちなみに、この詩は、Joyce Kilmer の詩

Trees

I think that I shall never see
A poem lovely as a tree.
(8行略)
Poems are made by fools like me,
But only God can make a tree.


のパロディ。

また Walt Whitman (1819-1892) の "Leaves of Grass" (『草の葉』)中に同名の詩が収められている。

さて、本題に戻ると "the Open Road" は定冠詞が付いているから、個別的な道路を示している可能性があるわけだが、未確認。だが、おそらく、むしろ一般的な概念としての、郊外の(両側に建物が立ち並んでいない)道路のことだろう。"a billboard" は、そうした道路沿いに立てられている大看板 --所謂「立て看」-- のこと。と云う訣で、次のように訳しておく。

野中の道路の歌

「立て看」が木ほど愛しく
見えようもなく。
「立て看」で木が初めから
見えようもなく。


次の "Reflections on Ice-Breaking" も、良く引用される。

Reflections on Ice-Breaking

Candy
Is Dandy
But liquor
Is quicker.

"break the ice" とは "relieve tension or get conversation going at the start of a party or between strangers." (COD) と云うこと。訳すと、こんな感じかな。

座を温めるには

飴でも結構
酒なら即効

--2008-12-06 [土] 補足:座を温めるには よりも 座を和ませるには とした方が良かったですね。


    関連記事:
  1. nouse: 子猫の欠点

  2. nouse: 「子猫の欠点」補足

  3. nouse: Joyce Kilmer の詩 "Trees"

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信用できない引用句サイト(鄧小平の「猫論」に関係して)

猫に就いての引用句をネット上で探していたら、引用句サイト WorldOfQuotes.comCats と云うページで、次のようなものを見つけた(Catlines Mewsletter Volume 3 Issue 2 でも同様):

His friends he loved. His direst earthly foes--
Cats--I believe he did but feign to hate.
My hand will miss the insinuated nose,
Mine eyes the tail that wagged contempt at Fate.
Author: Sir William Watson (2)
Source: An Epitaph

Black cat or white cat, it's a good cat that catches the mice.
Author: Sir William Watson (2)
Source: An Epitaph

It doesn't matter if a cat is black or white, as long as it catches mice.
Author: Sir William Watson (2)
Source: An Epitaph

最初の一つは、まぁ良い(大体、これは猫に就いての詩ではなく、犬に就いての詩らしいが、まぁ良い)。問題は、後の二つだ。どちらも、鄧小平 (1904-1997。四川省出身) の有名な「猫論」そのままではないか。

Sir William Watson (1858-1935) は英国の詩人だが、何故こんなことが起こったのか? 偶然の一致? それとも、二人の間に何らかの接点が(直接ではないにしろ)あったのか? そう言えば、鄧小平は十代で渡仏している(1920年)。その時にでも William Watson の詩を読んだのか。それとも、晩年に至るまで、ブリッジ好き、サッカー好きの鄧小平は、その一方で英語詩の愛好者でもあったのか? これは一つ調べてみようと、あれこれのサイトを覗いてみたのだが、結論は何の事はない。WorldOfQuotes.com の編集ミスですね。

大体、調べだすとすぐ話が奇妙になっていったのだ。

鄧小平が「白い猫でも黒い猫でも鼠を取る猫は良い猫だ」と云う意味のことを最初に言ったのは、1962年のことらしい(ただし、日付は資料により区区)。

原文を確定しようと、中国語サイトを覗いてみてみると、サイトにより、微妙に異なる言い回しで引用がなされている。こられには、鄧小平の言葉自体と云うより、「猫論」の主旨をのべたものもあるようだ(以下、当方のシステムで文字化けする中国語サイト中の文字は、対応する表示可能漢字に適宜置き換えた)。

1. 不管白猫黑猫,会捉老鼠就是好猫。
「老鼠」は、「老」が付いていても(付くと俗語になるらしいが)「ネズミ」の意。
--鄧小平理論的核心不是"猫論"
--小参考総第292期 1999.01.01 全面報道中国政治反対派的新聞和評論


2. 不管白猫黑猫,抓住老鼠就是好猫
--寂寞如雪—写在午夜的思索集
--大参考総第2404期(2004.10.01)専門散播各種受中共査禁的新聞和評論
「老鼠」の代わりに「耗子」とするものもある(北方方言とのこと)。意味は同じで「ネズミ」。
--十一、不管白猫黑猫,抓住耗子就是好猫


3. 不管白猫黑猫,能抓住老鼠就是好猫
--大参考総第1239期(2001.06.22)専門散播各種受中共査禁的新聞和評論


4. 不管白猫黑猫,能抓老鼠的就是好猫
--Wikiquote: 鄧小平

しかし、注目すべきは、こうした変異例の中で「白猫」が「黄猫」になっているものだろう。なぜなら、それが鄧小平が使った本来の表現であり、そして、もともとは、彼の同僚であった劉伯承(りゅうはくしょう。1892-1986。四川省出身)が常常口にしていた四川省に伝わる諺であったと云うことだから。以下が、その例(ちなみに、中国語の「黄」は、日本語の場合より広義で、赤みがかったもの、つまり茶色っぽいものも含むとのこと)。

5. 他引用刘伯承経常説起的四川諺語: "不管黄猫黑猫,只要捉住老鼠就是好猫。"
--"猫論"—民諺背后的真理
「他」は勿論鄧小平のこと。


6. 刘伯承同志経常講一句四川話:"黄猫、黑猫,只要捉住老鼠就是好猫。"
--領袖人物資料庫
ここでの話者は鄧小平。


7. 不管黄猫黑猫,能抓老鼠的就是好猫
--Wikiquote: 鄧小平 (注)


8. 不管黄猫黑猫,能抓耗子的那只就是好猫。
--也来淡淡方舟子

つまり、現在中国語サイトから収集できる情報による限り、Sir William Watson が鄧小平の「猫論」に影響を与えた可能性はないと結論できる。

では何故、ここまで表現が一致したのか?

ここで、話が一挙にグズグズになるのだが、別の引用句サイト GIGA QuotesCATS と云うページでは、次のようになっている。

His friends he loved. His direst earthly foes--
Cats--I believe he did but feign to hate.
My hand will miss the insinuated nose,
Mine eyes the tail that wagged contempt at Fate.
- Sir William Watson (2), An Epitaph

If a dog jumps in your lap, it is because he is fond of you; but if a cat does the same thing, it is because your lap is warmer.
- Alfred North Whitehead

Black cat or white cat, it's a good cat that catches the mice.
- Deng Xiaoping

It doesn't matter if a cat is black or white, as long as it catches mice.
- Deng Xiaoping

WorldOfQuotes.com は、これを「編集」して、自らのサイトに組み込んだのだろう。その際、"Deng Xiaoping" を誤って "Sir William Watson (2)" としてしまったとかなり断定的に推定できる。

強力な状況証拠があって、実は "WorldOf.." と "GIGA" のどちらにも (Sir 抜きの) "William Watson" と云う人物(17世紀初頭のイギリスにおける「Bye Plot バイ事件」の首謀者)の言葉が再録されているのだが、"GIGA" の方の人名索引では、どちらの Watson も "W" の項にあって並んでいる。だから "William Watson (1)" と "Sir William Watson (2)" とのように番号を付けて区別している。しかし、"WorldOf.." の人名索引では "William Watson (1)" は "W" の項、"Sir William Watson (2)" は "S" の項に入っているので番号を付けて区別する必要がない。それなのに、番号は付けたままになっている。これは、"WorldOf.." が "GIGA" の内容を写したときに、番号を削除し忘れたためだろう。

ちなみに "WorldOf.." は、"William Watson (1)" においても、似たような「編集ミス」をして、別人からの引用句を組み込んでいる。とうてい信用できないサイトと言えるだろう。


以下のサイトも参考のこと:
The Poems of William Watson, by William Watson

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「子猫の欠点」補足


前回記事で引用した「子猫の欠点云々」は、私のうろ覚えを、そのママ書いたもので、Ogden Nash の

The trouble with a kitten is that when it grows up, it's always a cat.

を、私なりに訳すなら、少し異なる。こうでもあろうか:

子猫の欠点は、育つと必ず猫になってしまうことだ。

或いは、

子猫で困るのは、育つと必ず猫になってしまうことだ。

ついでに書いておくと、「韻文版」の

The trouble with a kitten is
THAT
Eventually it becomes a
CAT.

は、

子猫が始末に悪いのは
仕舞いに猫になることだ。

といったところか。

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子猫の欠点


「子猫の欠点は、大きくなると皆、ただの猫になってしまうことだ」と云う警句を読んだことがある気がしていて、それが何となく、Horace Walpole のものだと思いこんでいた。「オトラント城奇譚 The Castle of Otranto」の作者である、と言っても、恥かしながら、私は読んでいると云う記憶が無いのだが。

しかし、ネットを検索しても、この警句と Horace Walpole とを結びつけることはできなかった。もっとも、たしかに彼は、猫好きだったらしく、Selima と云う雌の三毛猫を可愛がっていたと云うことは分ったけれども。

この猫は、金魚鉢にはまって死んだと云うことだ。それを、Walpole の「友人」Thomas GrayOde に詠んでいる。漱石の「吾輩は猫である」の中で「グレーの金魚を偸(ぬす)んだ猫」として言及されているのがそれだ。

しかし、検索条件を色色変えて調べているうちに、Ogden Nash が、こういっていることに辿りついた。

The trouble with a kitten is that when it grows up, it's always a cat.

うーむ。これでしたねぇ。しかし、ネット上では、この引用は結構多く見受けられるのに、所謂「書誌情報」が見当たらない。口頭による発言であったとしても、それが何時何処でのものかに就いて確定する記録がほしいところ。

なお、これには韻文版があって、"The Kitten" と云うタイトルが付けられている:

The trouble with a kitten is
THAT
Eventually it becomes a
CAT.

この詩は、2002年に彼の生誕100年を記念して発行された米国切手に、本人の肖像の背景として印刷されている由。


以下も参考のこと:


  1. Johnson's Life of Gray

  2. Ogden Nash

  3. Ogden Nash Teacher Resource File

  4. Cat Poems ~ Pawprints and Purrs, Inc.

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「サイト内検索フォーム設置」補足: チェック用キーワード

msearch のような CGI でサイト内検索機能を組み込めば、何も google に頼らなくても良いことに気づいたが、しかし、Google の検索エンジンがどの程度、このブログ中のキーワードを拾うか見てみる必要があるだろう。Give Google a chance.


参考記事: サイト内検索フォーム設置

そのためのお膳立てをしておく。

記事名
キーワード(フレーズ)

Bフレッツ導入ジタバタ記(認証エラーの卷)

何処に出しても恥づかしい
サポートセンター

B フレッツ導入ジタバタ記(「メールサーヴァにアクセスできない」の卷)

タイプミス
意地悪な魔女
Datula

B フレッツ導入ジタバタ記番外編(「ウェブサイトを作ってみたものの・・・」の卷)

YebisYa
Yebisuya
Donald E. Knuth

B フレッツ導入ジタバタ記番外編(「『ココログ』に手を出す」の卷)

ココロのスキマ
日商岩井
富士通

NIFTY翻訳フォーラム投稿再録(1997年7月3日?)

フォースのともにあらんことを
スターウォーズ
素粒子
念力
呪術
ヨーダ
goodbye
OED

NIFTY翻訳フォーラム投稿再録(1998年1月7日?)

エレファントカシマシ
風に吹かれて
御家人斬九郎
鬼平犯科帳
梶芽衣子
用心棒
三船敏郎
赤い収穫
渡辺謙
岸田今日子
益岡徹
塩見三省
若村麻由美
柳橋
深川
牧冬吉
芸者
天晴れ夜十郎
半七捕物帳
片岡仁左衛門
中村又五郎
池波正太郎
剣客商売
都筑道夫
下町
なぎら健壱
柳楽
銀座木挽町

人生の半ばで

Datula
青野雄平
網膜色素変性症

"May the Force be with you."に就いて

フォース
ジェダイ

東洋哲学
ユダヤ・キリスト教
George Lucas
希求法
聖書
賛美歌
神ともにいまして
私は貝になりたい
フランキー堺
内藤武敏

江戸/本所

本所
御府内
幕府
Wikipedia
隅田川

松前
喜連川
吉良
松坂町
勝小吉
夢酔独言
子母沢寛
芥川龍之介
馬場孤蝶
両国橋
墨田区
江東区

多少の感慨

分水嶺

リーマン予想解決?

インディアナ
ウェスト・ラファイエット
フランス
パデュー大学
詰まらぬものを読んでしまった
デュポン
ヒルベルト

以上、去年(2004年)の8月までの分。続きを作成するかどうかは未定。

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