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本所の北斎その他

[江戸/本所](2004年8月21日付)に書き損ねましたが、本所にゆかりの人と言えば、葛飾北斎がそうですね。1760年(宝暦10年)9月 [本所割下水] (「北割下水」と区別して言うなら「南割下水」)の生まれ、と、されています。彼が、自らの画号に 一時期[葛飾] と云う土地呼称を被せたのは、少なくともその当時、[武蔵国豊島郡江戸] に対する [下総国葛飾郡本所] の生まれであることを意識していたからでしょう。

勿論、周知の如く、彼は画号を頻繁に代えており、我我にとって最も馴染み深い「葛飾北斎」にもそれほどの執着があったとは思われませんけれども。何しろ、生涯に使った画号の数は三十ほどに及び、晩年には「前 北斎 卍」とか、更には「前 北斎 改 画狂老人 卍」などと称したと言います。

何だか、"the Artist Formerly Known As Prince" みたいで楽しい。[以前北斎として知られていた画狂老人 卍] なんてね。でも、改名の果ての「卍」と云うのは興味深いですね。よく知られているように、[元プリンス] にも「発音不能」と称する、オス記号 ♂ とメス記号 ♀ を組み合わせて図案化したと思われる記号があります。
「発音不能」と言ったって、これは [元プリ] が命名を忌避したと云うことなんだろう。そんなこと言っても、「命名」は必然で、[以前プリンスとして知られていたアーチスト]と云うメタ言説的な指示子が、表層言説に繰り込まれてしまう。それかあらぬか、[元プリ] は、元の木阿弥ならぬ只のプリンスに戻った。

「卍」にしろ、[元プリンス] glyph にしろ、ウロボロスを連想させるのは、注意しておいて良い暗合でしょう。

脱線ついでに書いておくと、Bangles の "Manic Monday" は、彼が(pseudonym を使って)作ったとのこと。


時代は下がって、五代目古今亭志ん生の極貧時代、志ん生一家が住んだのが、本所業平橋の所謂「なめくじ長屋」。志ん生も、改名と転居を繰り返した人だった。まぁ、彼の場合は、「これも貧ゆえ」と云うことだったらしいけれど。


本所回向院に墓所がある山東京伝(弟の山東京山も)や鼠小僧、そのほか、やはり本所に縁がある河竹黙阿弥、三遊亭圓朝、長谷川平蔵、遠山金四郎、柳亭種彦。これらは、ただ名前だけを記しておきます。


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