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2004年8月の4件の記事

リーマン予想解決?

リーマン予想(the Riemann conjecture)解決のアナウンスが流れて、ネットがさざめいています。

予想の解決を主張しているのは、米国インディアナ(Indiana)州ウェスト・ラファイエット(West Lafayette 北緯40°21', 西経86°52')のパデュー大学 (Purdue University) の Distinguished Professor ([特待教授]とでも訳すべきか? 中国語圈では、「傑出教授」と訳されている例がある)Louis de Branges de Bourcia。de が二つも付いて、大そうな名前だね。でも、何て読むのかな?

フランスのパリ生まれの人で、パデュー大学のプレスリリース(「アナウンス」の出所)によれば、本人は、"de BRONZH" と呼んで欲しいと言っているそうだから、フランス語風に [ルイ・ ド・ブロンジ・ド・ブルシャ] とでもしておきましょう。

ネットの紹介記事(例えば"BBC News World Edition")には、

Now, Professor Louis De Branges de Bourcia has posted a 23-page paper on the internet detailing his attempt at a proof.
--BBC News World Edition, Thursday, 10 June, 2004, 13:56 GMT 14:56 UK.: Greatest maths problem 'solved'

つまり、「証明への試行(attempt at a proof)」が[23ページの論文]に記述されている、と、書かれていますが、一方、パデュー大学のプレスリリースには、"posted a 124-page paper detailing his attempt at a proof on his university Web page. " つまり、「124ページの論文」に書かれている、と、なっている。食い違ってますね。

どーも、「23ページ」の方は、"APOLOGY FOR THE PROOF OF THE RIEMANN HYPOTHESIS"のことらしい。私が入手したのは pdf 文書になっていて、2004年8月10日付で24ページ。1ページ食い違ってますけど。

「124ページ」は、多分"RIEMANN ZETA FUNCTIONS" でしょう。こちらは、pdf 文書で121ページ(2004年6月16日付)。

でも、そもそも、「証明への試行」は「証明」じゃないっすよねぇ。[言葉の綾] かと思って、"APOLOGY FOR THE PROOF OF THE RIEMANN HYPOTHESIS" の方をプリントアウトして、覗いてみたけれど、私の貧弱な理解力の範囲内でのことですが、「証明」ではない。強いて言えば、[リーマン予想の研究者の回想的エッセイ]ですね。タイトルからしても、そう云う感じなんですが、それだけに、こう云うタイトルを付ける以上、もっと "proof" に踏み込んだことが書いてあってしかるべきでしょう。

勿論、その回想の中には、自らの研究歴も含まれていて、リーマン予想に取り組んだ(attaack)ことも書かれている。それを、中断してビーベルバッハ予想 ("Bieberbach conjecture" 現在では "De Branges' theorem" と呼ばれているらしい。まぁ、当然だろう)を解決したんだそうだが(p.20)、肝腎の「証明」そのもの、または「証明した」という言明は、見当たらなかったですな。読み飛ばしたかしらん。

数学者って文章が巧い人が結構多いんですが、困ったことに、この人は違う。引用はしませんが、世迷言とでも呼ぶしかないことさえ書いてある。酷なことを言ってしまうと、私の読後感は、「詰まらぬものを読んでしまった。」

僅かながら、文章が生き生きしているのは、少年時代の de Branges が、デュポン社の前社長に数学の試問をされるところだけといってよい(p.6)。

Mr. du Pont always drank a glass of rhum and orange juice in the clubhouse after playing golf.
--Louis de Branges de Bourcia "APOLOGY FOR THE PROOF OF THE RIEMANN HYPOTHESIS", p.6.
デュポンさんは、ゴルフが終わった後には、必ずクラブハウスでラム酒のオレンジジュース割りを一杯飲むのだった。

では、"RIEMANN ZETA FUNCTIONS" の方はどうかと云うと、読まなかったから「解らない」と言うしかない。ただ、幾つかの語句(critical, Riemann, hypothesis, conjecture, zeta, theorem)で検索をした限りでは、「リーマン予想」の内容を示していると、思われるのは冒頭のアブストラクトにある、次の一節だけです。

The zeros of a Riemann zeta function in the critical strip are simple and lie on the critical line.
--Louis de Branges de Bourcia "RIEMANN ZETA FUNCTIONS", p.1 (ABSTRACT).

これは、訳さないでおきましょう。"critical strip" や "critical line" の訳語の処理の問題もありますが、"Riemann zeta function" に不定冠詞 "a" が付いているのが気に入らない。

しかし、本文の中では、これに対応する文は見当たらないのだな。ヨリ一般的な定理など、形を変えて書かれている可能性はありますが、もしそうだとすると、全ての数学者が憧れるであろう、何百年に一度(ヒルベルトの逸話を踏まえるなら、千年に一度)の大見得を切る機会を放棄している訣で、やや信じ難い。


余談ですが、このパデュー大学、人類最初の月面歩行者ニール・アームストロング(Neil Armstrong)の母校らしいですね。

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多少の感慨


参照: NIFTY翻訳フォーラム投稿再録(1998年1月7日?)



この[NIFTY翻訳フォーラム投稿再録(1998年1月7日?)]は、私の興味の地勢において、パソコン通信からインターネットへと切り替わる分水嶺に位置します。

思えば、もう六年以上になっているわけです。多少の感慨無しとしない。

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江戸/本所

[NIFTY翻訳フォーラム投稿(1998年1月7日?)]で、「[本所]は、お江戸のうちではない」と書いたのは、失言だったと反省しています。

ただ、単純に取り消す気にもならないのです。

そこら辺の私の気分を纏めることが、今、出来ないので、参考になりそうなリンクのリストだけでも作ろうとしたのですが、これも旨くいかない。従って、そうしたことを一切諦めて、調べているうちに気になったサイトを、主題の統一性や個個の内容の精粗を無視して、列挙しましょう。

1. 江戸の範囲
それでも、「江戸の範囲」の [公式見解] といった感じのもの挙げておく必要があるでしょう。それが、例えばこの東京都公文書館の公式サイトに書かれている説明。

文政元年 (1818) 8月に、目付牧助右衛門から「御府内外境筋之儀」についての伺いが出されました。その内容を要約すると、以下のとおりです。 「御府内とはどこからどこまでか」との問い合わせに回答するのに、目付の方には書留等がない。前例等を取り調べても、解釈がまちまちで「ここまでが江戸」という御定も見当たらないので回答しかねている。 この伺いを契機に、評定所で入念な評議が行われました。このときの答申にもとづき、同年12月に老中阿部正精から「書面伺之趣、別紙絵図朱引ノ内ヲ御府内ト相心得候様」と、幕府の正式見解が示されたのです。 その朱引で示された御府内の範囲とは、およそ次のようになります。

東…中川限り
西…神田上水限り
南…南品川町を含む目黒川辺
北…荒川・石神井川下流限り

これは、寺社勧化場と札懸場の対象となる江戸の範囲にほぼ一致します。
現在の行政区画でいえば、次のようになります。
千代田区・中央区・港区・新宿区・文京区・台東区・墨田区・江東区
品川区の一部・目黒区の一部・渋谷区・豊島区・北区の一部・板橋区の一部・荒川区

東京都公文書館の公式サイトより, http://www.soumu.metro.tokyo.jp/01soumu/archives/edo.hani.htm

2. 江戸 - Wikipedia
[江戸の範囲] だけでなく、[江戸の歴史] や [江戸の都市計画] に就いても触れられています。

この記事が書かれている "Wikipedia" に就いては「Wikipedia:ウィキペディアについて」を参照。「ウィキペディア内の全ての記事はコピーレフトなライセンスの GNU Free Documentation License によって保護され、永久に「フリー」であることが保証されています。」とのこと。英語版ドイツ語版フランス語版中国語版などの非常に多くの言語(ラテン語版や、サンスクリット語版まである)で活動が進められているのだそうです。

3. 下町探偵団
これも[江戸の範囲]の話。隅田川の東側(今の江東区・墨田区あたり)が江戸にはいるかどうかに就いて。

4. 江戸時代の東京
森ビルが提供しているサイトに含まれている。江戸の全体的地形・都市構成の変遷がわかる地図多数。

5. 江戸時代に赤羽は「江戸」の内だったか
「赤羽」は、[東京都北区赤羽]。

6. 史料リスト・江戸時代細分
1603年~1867年までの史料を纏めたもの。これは、FUJIMAKI Sachio さんのサイト、聚史苑の下にある
日本史研究参考基礎史料一覧の一部。

7. 江戸期に「藩」はなかった? -○○藩と呼ばれる機構について-
こんなことが書いてありました。


  1. 現在、我我が「藩」と呼んでいる組織は、江戸時代、公式には「藩」と呼ばれたことはなかった。「藩」が公式名称化したのは、明治の版籍奉還後。

  2. 蝦夷松前の松前家は無高、下野喜連川の喜連川家も五千石だったが大名とされていた。これに対して、御三卿の一橋、田安、清水家は十万石だが大名とはされないのが普通。

8. 江戸の資料・基本用語
1955年TV時代劇草創期に演出家が使用した覚え書きノート。「正確な歴史資料ではなく、あくまでも時代劇の資料」

9. 本所の吉良屋敷, - Wikipedia
吉良屋敷について「『 松坂町二丁目』という住所を示すものも多い。ところが、武士の居住地には、住居表示のための住所というものはなかった。それに、松坂町は討入事件の4年後についた町名で、吉良屋敷があった場所は松坂町二丁目だけではなく、一丁目の一部も含む。」
これに関連して [元禄赤穂事件 - Wikipedia] の項も参照。

10. 勝小吉
勝小吉の自伝「夢酔独言」や子母沢寛の小説・エッセイに就いての感想が書かれています。

11. 本所両国
芥川龍之介のエッセイ。「僕は生れてから二十歳頃までずつと本所に住んでゐた者である。明治二三十年代の本所は今日のやうな工業地ではない。江戸二百年の文明に疲れた生活上の落伍者が比較的大勢住んでゐた町である。」

12. 明治の東京
馬場孤蝶のエッセイ。

昔は本所あたりは下町の敗残者の逃避の地区であつたといはれた。なほ窮迫の度の増すに従ひ、更に奥へ奥へと引つ込んで行くのであるが、その引越し荷物を見てさへ、その家運衰退の度合ひが明らかに看取されるといふのであつた。即ち、初め両国橋を越える荷車には、まだしも少しは見栄えのする物が積まれてゐるのであるが、次の場所へと向ふ車上には、次第にガラクタの数さへ減つて行くといふのであつた。」「『南向茶話』の一節には、本所は本庄といふのが古い名であつて、今の信越線の熊谷の先きに本庄といふ地名があるので、同名を嫌つて、元禄年中本所と改めたとある。


それから、これは、1998年の投稿時点では、話が散らかるので書かなかったことですが、今の東京で、私が町なかを歩っている限り(まぁ、酷く狭い範囲なんですが、とにかく)、行き交う人々の言葉尻や態度に、昔の東京(江戸とは言わない)の雰囲気が一番残っているのは、墨田区とか江東区、以前の言い方で言えば、向島、本所、深川なんです。

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"May the Force be with you."に就いて

再録した「NIFTY翻訳フォーラム投稿(1997年7月3日?)」に些かの補足を試みる。

当該記事作成当時は、私はインターネットにアクセスできなかったので(出来るようになったのは、1998年春)、"May the Force be with you." に就いて、インターネット上で調べる事はなかった。そこで、今回の再録に応じて、ルーチンワークとして google 検索した。

時間がなかったのでゴク大雑把な調査しかできなかったためもあろうが、発見感の少ない作業で、失敗したと言ってよい。しかし、勿論、他のあらゆる失敗と同様、この失敗にも記録する価値はあるだろう。

1. 日本語サイトの場合:

1.1. Koubuchi's Personal Home Page
The STAR WARS quartet 中の、台詞 "May the Force be with you." の出現箇所をまとめたもの。当方内容未確認。全部かどうかも不明。サイト中の説明に曰わく

基本的にはフォースを重視するジェダイの表現であり、一般の人が使うことはありません。しかし帝政成立後は、ジェダイの活躍華々しい旧共和国時代を象徴する表現として、反乱軍の合い言葉のようになります。ドドンナ将軍やアクバー提督の台詞は、このような合い言葉であって、彼らがジェダイというわけではありません。この決まり文句も数えてみると、登場回数は案外少ないものです。一方「ファントム・メナス」では、ジェダイの全盛期ということもあって、何度も出てきます。 --Koubuchi's Personal HomePage 中の「よくある台詞集」:May the Force be with you!:フォースのともにあらんことを!


2. 英語サイトの場合:

2.1. "George Lucas, the Force and God" by Terry Mattingly
"Star Wars" における「フォース」が「神」と同一であるのはそのとおりだとしても、その「神」とは如何なるものなのか、つまり、"Star Wars" の宗教観を論じて、それが様様な要素(受動的な東洋哲学と、ユダヤ・キリスト教的な責任倫理及び自己犠牲と)の混淆物とする、監督 George Lucas の伝記作者 Dale Pollock の説を紹介して、結論に代えている。

3. 宿題:

英語の希求法について書こうと思っていたのだが、材料が集まらない。別の機会まで延期する。

それに使えるかもしれないので、The Lord be with you. と God be with you. とに関連して、聖書の章句番号を記録しておこう。

  • 旧約 [出エジプト] 10:10; [ヨシュア] 1:17 ; [歴代誌 上] 22:11
  • 新約 [テサロニケ 2] 3:16

おまけとして、たまたま思い出した賛美歌第405番(番号は日本基督教団讃美歌委員会1954年版による)「神ともにいまして(GOD BE WITH YOU TILL WE MEET AGAIN)」 のことも、ここにリンクを貼っておこう。この曲は、私のような不信心な者にとってもゆかしい別れの歌である。

脱線ついでに書いておくと、私の(全く当てにならないことが多い)記憶によるなら、この讃美歌は、曾っての TBS ドラマ「私は貝になりたい」で、主人公(フランキー堺)の前に死刑になる人物(内藤武敏だったと思う)を送り出すシーンで効果的に使われていた

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